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Report from asahi 第29回「政治家のファッション」
Report from asahi
no29(平成17年3月)
1月21日、今年も通常国会が始まった。郵政民営化やイラク、北朝鮮など課題は目白押しだが、盛り上がりは今ひとつ。小泉首相の自民党総裁としての任期が06年9月に切れるため、「勝負は来年」と考える政治家が多いからかもしれない。
そんなことを考えながら、「今年も国会が始まったなあ」と実感したのは、和服姿の議員が目についたからか。和装振興議員連盟は毎年この時期、和服で登院を呼びかけている。
政治家にとって、服装は自分のイメージを決める大事な宣伝手段だ。米国大統領選では、よく赤いネクタイが「パワー・タイ」として登場する。川口順子前外相の「勝負服」も赤色だった。逆に、その一世代前の田中真紀子元外相は、セーターやフリースといった普通の「庶民服」を好んで使った。永田町で、「彼女はテレビに自分が映る間隔を見計らいながら、同じ服をわざと着ている」という噂を聞いたことがある。テレビを見ている人は「田中さんは数日前と同じ服を着ている。そんなに服をもってないんだ」「服装に無頓着なんだ」と思うだろう、というのだが、真偽はわからない。また、選挙のたびに安い靴とスーツを大量に車に積み込み、田んぼで働く人を見つけると、スーツ・革靴姿のままでジャブジャブと分け入っていき、相手の感動を誘うという政治家もいたという。
私個人の取材体験でいうと、一番印象に残っているのは村山富一元首相だ。「そうかのお」「そうじゃなあ」と大分弁で朴訥としゃべる彼が、私が政治部に入って初めて担当した政治家だった。その素朴な人柄は服装にもよく出ていた。
当時の首相番記者は、1人に限って、官邸と国会の廊下で歩きながら首相の話を聞くことができた。私も度々名乗りを挙げて、村山さんにくっついていた。とはいえ、経験は浅いし、廊下は短いしで、気ばかり焦る。勢い、ぐいぐい体を寄せて話を聞くのだが、6月のある日、プーンと鼻についた匂いがあった。ナフタリンの匂いだった。若い私は、それまで政治家には少なからず偏見があった。「金持ちだから、服なんか季節ごとに使い捨ててるんだろう」とも思っていた。その日から、少し村山さんが好きになった。
その2か月後。8月9日のお昼前、私は村山さんにくっついて長崎に出張した。原爆慰霊式の日だった。長崎の原爆投下時刻は午前11時2分。その時刻に合わせて式典は開かれる。当日は快晴だった。私は記者席に座りながら、不謹慎にも、流れる汗でシャツがグシャグシャになっていく不快感に閉口していた。ふと、前方に座る村山首相の背中が見えた。白いワイシャツが透けて見えるほど、スーツの生地が薄かったからか、村山さんの首筋には汗一つ浮かんでいなかった。もちろん、村山さんは上着を一度も脱ぐことなく、ひょうひょうと挨拶を終えた。妙に村山さんのイメージによく合う場面で、10年経った今でも、そのときの光景が昨日のように思い出される。
ああいう、思惑や戦略、下心と関係なく、服装が自然に見えた政治家は、それ以来お目にかかっていない。
本日のマラソン大会は中止です
テレフォン説法第四十四号
第四十四号 (昭和六十年八月)
テレフォン説法第44回をお送りします。
今年もまた甲子園の高校野球大会が近付いてきました。昨今では甲子園大会は日本の夏の行事として無くてはならないものになったようです。
郷土の興望を担って甲子園へ出場することは、大変名誉なことです。ただそれが余りにもマンモス化し、過熱化した点もありますが反面、若者たちに母校愛の精神をよみがえらせ地域社会の人々に郷土愛を燃え上がらせる効果のあることも事実です。
いつか静岡新聞のコラムでこんな記事を読みました。大正15年、当時の静岡中学が全国制覇をした時の原動力、上野精三さんは、「練習に泣き、試合に笑う」のが高校野球だといいました。「負けて流す涙があるならば練習の苦しさに泣け」これは昭和14年15年に島田商業が準優勝した時の恩師の言葉でありました。
或るはまた「わが道は己が開拓せよ」これを高校野球の神髄と見ている人もあります。猛練習に泣く過程で、自分の生きる道を模索するのが、高校野球の原点だという訳です。
これらの言葉は夫夫に意味がありますが、要は野球を通して教室では得られないものを体得するところに値打ちがあります。甲子園での勝敗もさることながら、血を吐くような猛練習で体得したものは、その人の一生を支配するでありましょう。
若いときに、学問であれ、スポーツであれ一つの事に全精力を打ち込んで見る事は、決して無駄ではありません。人間誰しも何らかの長所があるもので、それを延ばさずに、世間の一律的なレールに無理矢理のせられるは、本人のためにも社会のためにも、大きな損失です。
宮本武蔵は「一道万芸に通ず」といいました。一つの道を極めたときに、それはすべての芸に通じるものだと言う事でありましょう。
その道の専門家になれば、それが己を生かし、同時に世間のお役に立つことにもなります。ごく一部の天才といわれる人は別として人間の力にはおのずから限界があります。あれもこれもと欲張ってみても、しょせんは虻蜂取らずになるか、器用貧乏で終わってしまうでしょう。
「まことに一事をこことせざれば、一智に達することなそ」と正法眼蔵は述べています。巨人軍の王選手は、バットでボールを打つことに全生命をかけました。千代の富士はあの体で巨大な小錦を倒し、山下選手は柔道の王座を八年間も確保してきました。
心技体が見事に一致した境地は、誠に素晴らしいもので、我々はこれらのスター達が檜舞台にあがった時の、華やかな姿に酔いしれていますが、その陰には血みどろの猛稽古があったことを思わずにはいられません。
「必勝の新年は、千磨必死の訓練に生ず」と申します。経済人でも芸術家でも、学者でも、スポーツの選手でも、一道を極めた人達は、一種の「悟り」に近いものを持っているようです。仏教ではこう言います。
「一行一切行、一切行一行」
台風12号の影響につきまして。
"Report" FromASAHI No:28
"Report"FromAsahi No.28
「政治資金パーティ」
パーティー。何となく、楽しくなる言葉だ。政治部に入って10数年。数多くの国会議員の政治資金パーティーを見てきた。会場は例外なく高級ホテルの大広間。ほかの政治家の夜の日程を邪魔せぬよう、開始時間は6時台がほとんど。8時には終わる。
入り口にただずむコンパニオンが、にっこり微笑んで飲み物を勧めてくれる。(「新聞記者だから」と気取って、一度も飲んだことはないが)
所属する派閥の長やら有名な財界人やらが、考えつく限りの褒め言葉を、壇上に立ちっぱなしの主催者本人と奥様に浴びせ続ける。中身はまずない。
一方、会場では政治家に挨拶して回る官僚の姿や、飲食に夢中になっているサラリーマンをよく見かける。会場に10数分留まっただけで、すぐ帰る人もざらにいる。
一体、このパーティーに何の意味があるのか。それは名前の通り、資金集めだ。しかも、近年ではその存在が、ますます重要になっているという。
12月、03年の政治資金収支報告書が47都道府県で公開された。政治家の懐具合の取材をして回ったときの話だ。
不景気が続く昨今、企業は政治献金にシビアになっている。株主総会で問題視される場合もある。一方で、パーティー券の購入なら、その場限りのお付き合いにできるし、交際費名目での処理もできる。「献金はダメだが、パーティー券なら」という企業が最近は増えているのだという。
パーティー券の価格は、1枚2万円が相場だ。これを政治家の秘書が企業を回って販売する。やり方は千差万別。ベテラン議員ともなると「固定客」が付く。5枚単位で買ってくれる「お得意さん」も多い。一方、若手議員や野党は大変だ。ある事務所は、「固定」「有望」「飛び込み」に分け、訪問や電話、郵送を組み合わせて対等しているという。そこの秘書氏は「新規開拓も大事。でも、全部訪問していては体が持たない」と話す。1度のパーティーで3千枚を売りぬくという。昔、「会社四季報」に載っている企業すべてにパーティー券を郵送した事務所もあったそうだ。
であれば。政治資金パーティーは、パーティー券を販売した段階で、すでにその使命を終えているのだ。秘書氏も「会場に来るか来ないかは、大した問題ではない」と話す。
永田町にいる大抵の政治家は「個人献金が中心になれば、どんなに良いことか」と話す。癒着がなくって、政治に感心を持ってくれれば、そりゃあ働き甲斐もあるだろう。
でも政治家にだって、「1枚2万円だけど、買ってみようかな」と考えたくなるようなパーティー(もちろん、勉強会でも良いけれど)にする義務があろうというものだ。今現在、講師や内容を工夫している政治家は少ない。
朝日新聞社 牧野愛博
台風6号の影響について
震災復興に協力を続けていきます
日頃からのご愛顧、誠にありがとうございます。
さて、先日のブログでも震災復興支援について書きました。何か微力でも出来ることから始めようということで、5月よりご試読してくださるごとに、一件当たり500円を全て当社負担で被災地へ寄付する支援策を行っております。6月28日現在で65件のご賛同を頂きました。
期間につきましては未定ですが、出来る限り続け、少しでも早い被災地の復興を願うべく続けていきたいと思っています。お客様には全く負担を掛けない支援策ですので、是非この機会に新聞を読んだことのない方や、朝日新聞の報道に興味を持った方は一週間の無料試読をしていただけたらと存じます。
寄付に関しましては、ある時期をもってしかるべき機関を通して送る予定です。また当ブログにてお知らせしたいと思います。これからも引き続きのご愛顧、よろしくお願いいたします。
東北大震災に際しまして
質問ドラえもんポケットブック
テレフォン説法第42回
テレフォン説法第42回(昭和60年6月)
テレフォン説法第42回をお送りします。
悪必ずしも悪ならず
善必ずしも善ならず
美悪汚善の世界に
人間の深呼吸がある(涙骨)
かつて三越に君臨した風雲児、岡田茂前社長の明暗を書いた本を読み、中々面白かった。
昭和43年、それまで売り上げが落ち込む一方だった銀座支店をまかされた時、彼は若い層を狙って店内を改装。無数の豆電球を使って「光と色の洪水」を演出。店内にロックバンドを入れ、当時まだ珍しかった屋上ビアガーデンを開設したり、ヌードの写真展まで開きました。
時あたかも高度経済成長期、彼のヤング路線はズバリ当って売り上げは倍増した。更にハンバーガーの立ち食いの店を開いたり、女性店員の服装をミニスカートにしたり、岡田商法は兎にも角にも、しにせ三越に新風を吹き込んだことは事実で、彼の「攻めの商法」は当りに当たりました。
しかしその事がワンマンの独善社長をつくりあげ、遂に破滅を招いたとするならば「善必ずしも善ならず」。中国の故事に「金をつかむ者は人を見ず」と。欲の皮が突っ張ると周囲のことは目に入らなくなると言うことでしょうか。
彼の不幸は批判者を遠ざけ、追随者だけで身辺を固めたことにあるといいます。昔から「諫言の功は一番槍にまさる」とか。世間の声に耳を傾けるという意味です。
福原麟太郎には「失敗について」という文章があります。
「人生などというものは失敗の連続だ。己を顧みても、きょうは成功した。うまくいったという日は数えるほどしかない。この表現はまずかった。ここは心配りが足りなかったと数えあげるのが怖いくらいである。しかし失敗して立ち直った時、人はやや賢くなる。失敗をしても立ち直れない人が、本当の失敗者なのかもしれない」とこの人生の達人は言っています。
人間は試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ前進して行くのかも知れません。
笑われて反省するのだ
叱られて賢くなるのだ
叩かれて強くなるのだ。
痛みや躓きの向こうに初めて見えてくる景色もある。して見れば、悪必ずしも悪ならず―
人生は決して「直線」で割り切れるものではないようです。
親鸞聖人は申しました。
「善悪ふたる 総じてもって存知せざるなり」(歎異抄(たんにしょう))。世間では善とか悪とか言うけれども、自分には何が善やら、何が悪やらわからない。それは仏様のように先の先までお見通しならば、善悪を知ったともいえようが、五欲の凡夫が、価値基準の刻々に変わるこの無常の世の中にあって、何がわかるものかと、はっきり言い切っております。
人生とは所詮、失敗と矛盾の中を生き抜くことかもしれません。
悪必ずしも悪ならず
善必ずしも善ならず
美悪汚善の世界に
人間の深呼吸がある
