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テレフォン説法第四十四号
第四十四号 (昭和六十年八月)
テレフォン説法第44回をお送りします。
今年もまた甲子園の高校野球大会が近付いてきました。昨今では甲子園大会は日本の夏の行事として無くてはならないものになったようです。
郷土の興望を担って甲子園へ出場することは、大変名誉なことです。ただそれが余りにもマンモス化し、過熱化した点もありますが反面、若者たちに母校愛の精神をよみがえらせ地域社会の人々に郷土愛を燃え上がらせる効果のあることも事実です。
いつか静岡新聞のコラムでこんな記事を読みました。大正15年、当時の静岡中学が全国制覇をした時の原動力、上野精三さんは、「練習に泣き、試合に笑う」のが高校野球だといいました。「負けて流す涙があるならば練習の苦しさに泣け」これは昭和14年15年に島田商業が準優勝した時の恩師の言葉でありました。
或るはまた「わが道は己が開拓せよ」これを高校野球の神髄と見ている人もあります。猛練習に泣く過程で、自分の生きる道を模索するのが、高校野球の原点だという訳です。
これらの言葉は夫夫に意味がありますが、要は野球を通して教室では得られないものを体得するところに値打ちがあります。甲子園での勝敗もさることながら、血を吐くような猛練習で体得したものは、その人の一生を支配するでありましょう。
若いときに、学問であれ、スポーツであれ一つの事に全精力を打ち込んで見る事は、決して無駄ではありません。人間誰しも何らかの長所があるもので、それを延ばさずに、世間の一律的なレールに無理矢理のせられるは、本人のためにも社会のためにも、大きな損失です。
宮本武蔵は「一道万芸に通ず」といいました。一つの道を極めたときに、それはすべての芸に通じるものだと言う事でありましょう。
その道の専門家になれば、それが己を生かし、同時に世間のお役に立つことにもなります。ごく一部の天才といわれる人は別として人間の力にはおのずから限界があります。あれもこれもと欲張ってみても、しょせんは虻蜂取らずになるか、器用貧乏で終わってしまうでしょう。
「まことに一事をこことせざれば、一智に達することなそ」と正法眼蔵は述べています。巨人軍の王選手は、バットでボールを打つことに全生命をかけました。千代の富士はあの体で巨大な小錦を倒し、山下選手は柔道の王座を八年間も確保してきました。
心技体が見事に一致した境地は、誠に素晴らしいもので、我々はこれらのスター達が檜舞台にあがった時の、華やかな姿に酔いしれていますが、その陰には血みどろの猛稽古があったことを思わずにはいられません。
「必勝の新年は、千磨必死の訓練に生ず」と申します。経済人でも芸術家でも、学者でも、スポーツの選手でも、一道を極めた人達は、一種の「悟り」に近いものを持っているようです。仏教ではこう言います。
「一行一切行、一切行一行」
