テレフォン説法第42回
テレフォン説法第42回(昭和60年6月)
テレフォン説法第42回をお送りします。
悪必ずしも悪ならず
善必ずしも善ならず
美悪汚善の世界に
人間の深呼吸がある(涙骨)
かつて三越に君臨した風雲児、岡田茂前社長の明暗を書いた本を読み、中々面白かった。
昭和43年、それまで売り上げが落ち込む一方だった銀座支店をまかされた時、彼は若い層を狙って店内を改装。無数の豆電球を使って「光と色の洪水」を演出。店内にロックバンドを入れ、当時まだ珍しかった屋上ビアガーデンを開設したり、ヌードの写真展まで開きました。
時あたかも高度経済成長期、彼のヤング路線はズバリ当って売り上げは倍増した。更にハンバーガーの立ち食いの店を開いたり、女性店員の服装をミニスカートにしたり、岡田商法は兎にも角にも、しにせ三越に新風を吹き込んだことは事実で、彼の「攻めの商法」は当りに当たりました。
しかしその事がワンマンの独善社長をつくりあげ、遂に破滅を招いたとするならば「善必ずしも善ならず」。中国の故事に「金をつかむ者は人を見ず」と。欲の皮が突っ張ると周囲のことは目に入らなくなると言うことでしょうか。
彼の不幸は批判者を遠ざけ、追随者だけで身辺を固めたことにあるといいます。昔から「諫言の功は一番槍にまさる」とか。世間の声に耳を傾けるという意味です。
福原麟太郎には「失敗について」という文章があります。
「人生などというものは失敗の連続だ。己を顧みても、きょうは成功した。うまくいったという日は数えるほどしかない。この表現はまずかった。ここは心配りが足りなかったと数えあげるのが怖いくらいである。しかし失敗して立ち直った時、人はやや賢くなる。失敗をしても立ち直れない人が、本当の失敗者なのかもしれない」とこの人生の達人は言っています。
人間は試行錯誤を繰り返しながら、少しずつ前進して行くのかも知れません。
笑われて反省するのだ
叱られて賢くなるのだ
叩かれて強くなるのだ。
痛みや躓きの向こうに初めて見えてくる景色もある。して見れば、悪必ずしも悪ならず―
人生は決して「直線」で割り切れるものではないようです。
親鸞聖人は申しました。
「善悪ふたる 総じてもって存知せざるなり」(歎異抄(たんにしょう))。世間では善とか悪とか言うけれども、自分には何が善やら、何が悪やらわからない。それは仏様のように先の先までお見通しならば、善悪を知ったともいえようが、五欲の凡夫が、価値基準の刻々に変わるこの無常の世の中にあって、何がわかるものかと、はっきり言い切っております。
人生とは所詮、失敗と矛盾の中を生き抜くことかもしれません。
悪必ずしも悪ならず
善必ずしも善ならず
美悪汚善の世界に
人間の深呼吸がある
テレフォン説法第41回目(昭和60年5月)
テレフォン説法第41回(昭和六十年五月)
テレフォン説法第41回をお送りします。
お金を使わなくても出来る七つの施し、「無財の七施」の中の一つに「心慮施(しんりょせ)」があります。心と思いやりの施しです。
電力中央研究所の成田理事長の話です。
成田さんの友人がまだ若かった頃、当時、高額所得者で有名な財界人を訪ねました。用件の後で、大変ぶしつけと思ったが質問したそうです。
「あなたはどのようにして、現在のようなお金持ちになられたのですか」
その人はにこやかな顔で、こう答えました。
「お金を貯めようと思って努力したことはありません。ひと様のため、社会のために、私にできることなら、どんな小さな事でもさせて貰おうと思って、お金と一緒にそういう心を撒いてきたつもりです。そして気がついてみたら、現在のようになっていました。」
この中にある「心を撒く」とは何と素晴らしい言葉ではありませんが。社会を構成する一員として、よりよい社会をつくる為に、自分の出来ることを少しの私心もなく実行し励んだというのであれば、世間がそれに共感しないはずはありません。「世の中を動かすのは結局人の心」だと思います(昭和57年2・8日日経より)。
スリランカは国民の平均所得が年間150ドル(三万五千円(当時レート))ですが、角膜移植用の眼球一万六千眼を盲人福祉のために、世界各地へ無償で提供しています。日本もその一部その恩恵に預かっていますが、心の温かい国民です。
我々は経済大国といわれるが故に、物や金だけ撒くのではなく、「心を撒く」ことがいかに大切であるか。日本語の「心配する」というのは、文字通り「心を配る」ということです。
作家の高見順さんがガンの手術で入院したとき、病室の窓から外を見ると、烈しい雨が降ってます。その雨の中を一人の新聞少年が新聞を配っています。それを見て彼はこんな詩を書きました。
なにかを おれも配達しているつもりで
今日まで生きて来たのだが
人々の心に何かを配達するのが
おれの仕事なのだが
この少年のように ひたむきに
おれは何を配達しているのだろうか
高見さんは余命いくばくもない絶望の病床にあって、それでもなお人々の心に何かを与え、配っていこうとする。その作家魂に深い感銘を覚えました。
そこで思い出すのが浜田広介さんの「石」の詩です。
道ばたの石はいい
いつも青空の下にかがみ
夜は星の花を眺め
雨にぬれても風でかわく
それが第一だれでも
こしをかけてゆく
道ばたの石でさえ、疲れた人にしばすの憩いを与える役をしています。
私共も周囲の人や地域社会に、少しでもお役に立っていると思うとき、生き甲斐を感じます。人生とは所詮「与えること」でしょうか。物や金は与えれば減ります。与えても与えても減らないもの、それは心です。
人間の存在が人を幸せにできるほど幸福なことはありません。
<昭和60年五月の出来事>
男女雇用機会均等法が成立
テレフォン説法第40号
テレフォン説法第四十号(昭和六十年四月)
テレフォン説第40号をお送りします。
今日は 「錦を衣て(きて)絅(けい)を尚う(くわう)」 中庸の言葉です。錦を着たらその上に絅、薄衣(うすぎぬ)を被いかけて、美しさを外に現さないのが君子のたしなみである-こういう意味です。
沼津西高等学校の会議室へ行くと、この学校の創立者である江原素六さんお書いた「衣錦尚褧(いきんしょうけい)」の額がかかっています。文句もいいが文字も誠に立派です。世の中がどんなに変わっても「錦を衣て(きて)絅(けい)を尚う(くわう)」という奥ゆかしさを失いたくないものです。
伝教大師最澄が比叡山の上に延暦寺を開いたとき、同時に人材養成の機関、今で言えば学校を作りました。それは人間ほど大切なものはない-という考えに立っていたことを示します。家も会社も地域社会も国も、人によって栄え、人によって亡びることに間違いありません。
伝教大師は人間を四種類に分類しました。
第一は国宝=能く(よく)良い能く行うは国の宝なり。発言力もあり実行力もある人物は国宝である。
第二は国師=能く言うこと能わざるは国の師なり。言うことは出来るが、実行力の伴わない人は国の師である。
第三は国用(こくゆう)=能く行い言うこと能わざるは国の用なり、実行力はあるが口下手な人間は国の用、用材である。
第四は国賊=言うこと能わざる、行うこと能わざるは国の賊なり、国賊だときめつけています。
当時、比叡山で学ぶ人達が、どんなに厳しい教育を受けていたか、想像に絶するものがあります。古来、比叡山の生活を「寒湿論貧(かんしつろんひん)」の四文字で表します。山の上で寒い。雲や霧で湿気が多い。師と弟子が学んだところを論じ合い、切磋琢磨する。生活は貧しく贅沢をしない。
山上の厳しい寒さと斗いながら、湿気の多い処で粗食に耐えて、激しい勉学を続けた当時の学問僧の生活は、まさに命がけの修行であったと思われます。
一昨年二月十五日、京都清水寺の大西良慶師が百七歳で亡くなりました。明治、大正、昭和に亘って、ともすれば忘れ去られようとした「心の世界」を説き続けた人です。
こういっています。
「今世紀の人類は、便利や利益ばかり考えて機械に負けてしまいよった。"我"に敗北したということや。今の日本はその見本やの。人間という字は人の間と書く。国と国との間、親と子の間、夫婦の間、教師と生徒の間、みんな間柄がある。間の無いのは間抜け。間が違うたら間違いやの」こう説いております。
そのあらゆる間柄が崩れて、毎日毎日間抜けだらけの事件、間違いだらけの事件が相次ぐ昨今の世相です。
ただガメツイだけの人間がシャシャリ出て大きな顔をする世の中で、今こそ「衣錦尚絅」その底光りする美しさ、奥ゆかしさを強調したいと思います。
「ボロはつけても心は錦」と水前寺清子が歌っていましたが、心の錦は一夜漬けでは身につきません。どんな立派な鎧を着ても、それは所詮、鎧でしかないのです。
テレフォン説法第39回
テレフォン説法第三十九号(昭和六十年三月号)
テレフォン説法第39回をお送りします。
三月に入れば、桃の節句、卒業式、お彼岸と続きます。そこで彼岸の意味を考えて見ましょう。
不寒不暑の春分の日を中心にして一週間が彼岸です。先祖の墓にお詣りをする風習があるので、ご先祖週間でもあります。
わが国の風土の特性を生かして、仏法の理想が日本人の心の中に千年以上も続いてきたことは、仏教を日本人の季節感に巧みに溶かし込んだ見事さにあると思います。
彼岸は読んで字の如く彼の岸、対岸のこと。迷いの此岸から、煩悩の河を渡って、目標である悟りの彼の岸へ、どれだけ近づき得るかそれが課題です。
彼岸は三月と九月と年に二回あります。つまり半年ごとに自分の前進向上の目標を決めその結果を仏前に報告して、過去を反省し、更に次の半年に向って、新たな努力を傾けます。どうかご照覧あれ - これが彼岸の意味であります。
そのために大乗仏教の求道者が実践すべき六つの徳目(六度)の中に、トップに「布施行(ふせぎょう)」があります。これに対して、原始仏教の実践項目の第一は「正見(しょうけん)」正しく見ることです。一方が見ることから入るのに対し、他方が布施(与えること)から始まるのは、興味深いことです。
昭和20年8月の終戦直後、マッカーサー司令官が厚木航空基地へ降り立った時、これで暫く吾々の目的も達成された-と言ったところ、サザーランド参謀長が、いや、我々は四つのものをこの国から奪わなければならないと言った。その四つとは 1、君臣の関係 2、父子の関係 3、主従の関係 4、師弟の関係であったといいます。その結果はご覧のとおりです。
勝者が敗者を弱体化し、無力化するのは、古今東西を問わず歴史の示すところ。そのような時には常に錦の御旗が立てられます。
自由、平等、権利、民主主義。しかしこれらは使い方によっては諸刃の剣のように、善悪両面に作用します。一時「文化国家」が大流行の時代もありました。
他方、占領行政により旧来の陋習(ろうしゅう)が一挙に排除された面もあります。
戦後40年、世界の情勢も大きく変わり、日本は物質的に豊かな国になりました。いま我々は自己と日本の現状を改めて自分の目で見直す時に来ているようです。
女性がやたらに肌をあらわにしたり、生徒が教師を殴ったり、性道徳が乱れたり、家族関係が崩壊したり等々、親日の外国人さえも「日本人よどこへ行く」と、日本の現状を憂える著書を出しています。敗戦の後遺症?も何とかこの辺で脱却したいもの。
およそ「正見」が八正道の第一の智恵です。ものを正しく、とらわれることなく見ることが如何に大切か。日本人が歩むべき道、世を生きる姿勢を、先ず正しく見極めることを彼岸としてはどうでしょう。
自分というローソクが、どれだけの時間を燃え続け、どれだけの光を周囲に与えたかに人間の評価も集約されます。お互いに人生の彼岸に向って、一日一日人間浄化の道を歩きたいものです。
春風や 仏を刻む かんな屑
1985年3月の出来事
つくば博が開幕
ソビエト連邦においてゴルバチョフ氏書記長に就任
国内初のエイズ患者を認定
テレフォン説法第三十八号
テレフォン説法第三十八号(昭和六十年二月)
テレフォン説法第三十八回をお送りします。
「友あり遠方より来る。また楽しからずや」
人生の思い出をつくるものには色々ありますが、その一つは友達です。
友達は良きにつけ、悪しきにつけ、私共の人生の歩みに大きな影響を与えます。子供の頃は家庭や学校の先生の影響が大きいのですが、社会へ出ると、今度は友達が重要な役割をもってきます。
従って友の遊び方が問題です。友達が人生の支えにもなるし、また人生を誤らす場合もないとはいえません。
明治から大正へかけての詩人、与謝野鉄幹はこう詠いました。
妻をめとらば才たけて
みめ美しく情けあり
友を選ばば書を読みて
六分の侠気 四分の熱
片や晶子は、文学青年河野鉄南を胸に描きながら詠いました。
やわ肌のあつき血汐にふれも見で
さみしからずや 道を説く君
男性の感応に挑戦するよな情熱をうたい上げています。
しかしいま、鉄幹と晶子のロマンを語る余裕はありません。注目すべきは「友を選ばば書を読みて、六分の侠気 四分の熱」という処です。友を選ぶ条件としてここに示されている「書を読みて」は、いつの時代にも知識人の必修科目でありますが、最近は活字ばなれが激しく、特にテレビ、ラジオの普及が、それに拍車をかけてきました。しかし昨今、洪水のように新刊書が出版されるのを見ると、"読む"ことへの関心も相当強いように感じます。
読書家で知識の広い友も、良い友でありましょうが、良い書物そのものが、心の糧を与えてくれる親友であるとも言えましょう。
論語の著者は益者三友、損者三友と説いています。
自分にとって有益な三種類の友がある。これが益者三友で、正しいと思うことを直言してくれる人。次にウソをつかない人。三番目が見聞の広い人。
これに対して交わってマイナスになる友にも三種類ある。第一はこびへつらう者、第二が誠実さのない者、第三が口先だけの者、これが損者三友です。
釈迦は法句経でこう言いました。
「心清き友と交わるべし、上士(まされる)を侶(とも)とせよ」
自分より勝っている人を友としなさい―と教えています。
「順境は友をつくり、逆境は友を試みる」と申しますが、こちらが順境にある時は、友達が大勢できます。それがひとたび逆境に陥ると、大部分の友達は離れて行ってしまいます。逆境は友をためす所以でありましょうか。
皆さんはたくさんのいい友達に恵まれて幸せなことですが、ただ終生の友は三人必要だと申します。
それは「主治医、弁護士、宗教家」
自分の健康を託す医師、仕事の上の法律顧問である弁護士、心の問題を相談できる宗教家。この三人を身近に持てば、あなたの人生に於いて、プラスになることは間違いありません。
テレフォン説法第三十七号
お世話になります、佐野新聞店です。真楽寺・勧山先生のお送りするテレフォン説法、今日は昭和60年一月号です。
テレフォン説法第三十七号(昭和六十年一月)
あけましておめでとうございます。
百八の煩悩を押し流す除夜の鐘と共に、愈々(いよいよ)昭和六十年の開幕です。
今日は高浜虚子の俳句
去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きもの
虚子のこの句は一代の名吟といわれました。山本健吉さんの「ことばの歳時記」を読んで俳句の新年の季語「こぞことし」の意味を教えられました。
山本さんは"この句が作られてから、去年と今年のつながりは、一本の「棒の如きもの」と実感されるようになったといいます。人の生涯もどんなに紆余曲折があろうとも、結局は歳月を「棒」と感じ入るところに、人生の達人の達観があるのであろう"と書いています。
事実、大晦日と元日とは隣り合っている一日で、そこには何の違いもありません。ただ人間が一年の最後の日を大晦日、その翌日を元日というだけです。しかし永い人生を送る上で、時の流れに一つの区切りをつけることは必要でしょう。
最近の社会情勢は一年一年が大きく変化しそれに従って個人の生活も、山坂の多い時代になりました。しかし過ぎ来し方を振り返ってみれば、その人その人に一貫して流れているものがある筈です。
前回お伝えした諸橋徹次さんの生涯は、まさに大漢和辞典13巻の編集という一本の棒で貫かれています。その35年という長丁場の間には、一万五千ページの原版が空襲で焼けてしまった事もあったし、90人の助手の内、4人は亡くなっています。最後には自分も視力を失い、失明に近い状態で、然も尚、意欲を燃やし続けた99年の生涯は誠に立派です。
スポーツ界では年令が30代後半といえば、既に峠を越しています。その中で暮れも正月も無く練習に努め、成果を挙げている人がいます。プロ野球の衣笠選手。彼はこの十八日で37才。ゲーリックの2130試合出場という世界記録へ追い付き、追い越せと意欲を燃やしています。
ハンマー投げの室伏選手は衣笠よりも一つ上の38才。その室伏よりも更に一つ上が高見山で39才。入幕以来16年間を相撲界のトップ集団である幕内に踏み止まっていたご立派。彼の目標である「40才まで土俵に上がり、幕内力士として100場所達成」という悲願は遂になりませんでしたが、人気力士として土俵に生彩を添えてきました。
この人達に共通しているのは、飽くことを知らないハングリー精神と、激しい努力です。
臨調の土光会長はいいました。
「人は能力以上に働かなければならないという重荷主義を私は信奉する。人間を能力以下に置くのはむしろ罪悪である。過重な労働をかけ、その人の創造性を高めるべきだ。仕事の報酬は仕事である。そんな働き甲斐のある仕事を、みんなが持てるようにせよ」と叫んでいます。
その土光さんは何と87才まさに老年パワーというべきでしょうか。
いずれにしても生涯に二度とない昭和六十年です。お互いに充実した一年にしたいものです。それには先ず健康でなくてはいけません。NHKの鈴木健二アナウンサーは申します。「健康は人間が自分に送ることのできる最高のプレゼント」であると。
テレフォン説法第三十六回
テレフォン説法第三十六回(昭和五十九年十二月)
テレフォン説法第三十六回をお送りします。
十二月八日は釈迦が悟りを開かれた日でありますが、一昨年のこの日、漢字の大家、諸橋徹次氏が亡くなりました。諸橋博士99年の生涯の中で特筆すべきは「大漢和辞典」13巻の出版です。
この仕事は大正八年から十年にかけての中国留学時代に始まっています。帰国後、大修館の鈴木一平社長が「従来の二倍くらいの漢和辞典を編集して欲しい」と申し入れた昭和二年頃から本格的な作業に入りました。
朝は四時頃から編集室に閉じこもって文字との斗い(たたかい)が続きました。以来18年、仕事が大体のヤマを越えた昭和20年に戦災にあって、一万五千ページの組み置き原版は、無残にも鉛の塊りになってしまいました。
半生の努力は水泡に帰したかに思われたが、幸い疎開先に校正刷りが残っていました。といっても、すべてのページに朱が入れてあるので、最初からのやり直しに近いものでした。
その間に四人の助手達は次々に死亡、諸橋さんの右目はついに失明、左目の視力も極度に失われていましたが、それでも作業に没頭して、実に35年の歳月と延べ26万人を動員したこの世紀の大事業はついに完成したのです。
親文字5万、熟語成語52万、まさに中国の康煕(こうき)辞典をしのぐ世界的スケールです。
例えば「天」の字には21種類の意味があってこの熟語が1702、58ページに亘って解説しています。徳川家康が駿府城でいった名言「天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり」の言葉も、その元は六韜(りくとう)が出典であることを知ったのも、この辞典のお陰です。後世どれだけ多くの人々に恩恵を与えることでしょう。
しかし、この大辞典が世に出るためには、諸橋博士の畢生(ひっせい)の努力と、これを助けて倒れていった四人の助手を含めた多くの協力者、更には出版社をはじめ関係者多数の血と汗が込められています。
そう思った時、私の頭には菜根譚(さいこんたん)の一説が浮かびました。「身を立つるに一歩を高くして立たざれば、塵裡(じんり)に衣を振い、泥中に足を濯う(あらう)が如し。いかんぞ超達せん」
偉大な仕事をする為には、常に世間の人より一歩高い理想を立てていないと、塵の中で衣服をふれば、衣服は一層塵にまみれ、泥の中で足を洗えば、足は一層泥まみれになるように、いつの間にか低俗化して理想に達することは不可能だ-この言葉を思い出しました。
人間に内在する無限の可能性は放っておいては現れません。とかく安きにつくのが人情ですが、そうなれば人としての弱さが露呈されるだけです。お互いに人間としての美しさを磨き上げる為に、きびしさを苦痛と感じないまでに己を高めたいものです。
若しわれわれに理想や夢がなかったならば今日の苦しみに、どうして打ち克つことが出来ましょう。目的が叶えられると思えばこそ、途中の苦労にも何とか耐えられるものです。
諸橋さんの座右の銘は論語の言葉「行くに径(こみち)に由らず」でありました。漢和辞典は文字通り大道をゆく大辞典になって、不滅の光を後世に残しました。
テレフォン説法第三十五回
テレフォン説法第三十五号(昭和五十九年十一月)
テレフォン説法第三十五号をお送りします。今日のことばは「重い石を持つ」
今ここに、大きな重い石と、小さい軽い石とがあって、どちらか一つを持って百メートル先まで運ぶとします。あなたはどちらを選びますか。誰しも軽い石の方へ手が出るのが人情です。少しでも楽をしたいのも偽らざる気持ちです。
玉川学園の小原国芳先生は申しました。
人生の最も苦しい
いやな 辛い 損な場面を
真っ先に微笑みをもって 担当せよ
誰だって苦しい事、いやな事、損なことなど初めから判っていれば、避けたいのが本音です。それにも拘らず、微笑をもって之に当るのは、なかなか難しいことです。
今年の夏、ロス五輪の入場式で栄光の旗手をつとめたのは、沼津出身の室伏選手でした。三十八才の彼にとっては、まさに最後をかざる男の花道であったでしょう。
二年前、彼は次々に日本記録を更新しました。自分自身に重荷を負わせることの大切さ、その重荷に耐え続けることの素晴らしさを、室伏選手は鉄の球で宙に孤を描いて見せてくれました。「天声人語」はこう書いています。
ハンマー投げは重さ7.26キロの鉄球を、できるだけ遠くへ飛ばす地味な競技です。室伏は自己の持つ日本記録を次々に更新して、遂に75メートルの壁を破った。新記録達成の瞬間をテレビで見ると、猛獣のような鋭い叫び声が響いて、鉄球は75mの白線を超えていた。
両手を高々と挙げる室伏選手のうしろ頭の毛の薄さが年令を感じさせた。36歳といえばスポーツの世界では体力の衰えが目立つ年令であるのに、その重荷に耐え、逆に25歳当時の記録を4m以上も延ばしたのです。下り坂の体力を練習と技術上の工夫で見事にはね返しました。
練習のとき自らに課す重荷はすさまじいもので、わざと握りにくい取っ手を選ぶ。向かい風の中で稽古をする。練習用の20キロ30キロのハンマーを投げる。バーベルも挙げる。厳しい練習が続くと、時には血尿が出るそうです。
ルーマニアのやり投げ選手だったセラフイナさんとの国際結婚はもう十数年前のことですが、言葉も習慣も違う女性と暮らすことは、やはり「ひとつの重荷」を背負うことであったと室伏さんは言います。「しかし人間は自分に重荷をかけるべきだ。その重荷に耐えることが出来たら、一段上に成長してゆく。女房や子供のおかげで私自身も伸びられました」こう語っています。
彼が72m88の新記録を出したとき「次は75mが目標です」とこの人は断言しました。この断言もまた室伏流にいえば、自分に課した一つの重荷であったのかも知れません。
「重い石を持つ」というのは何もスポーツの選手だけではありません。あらゆる世界に通じることです。要は自分自身に打ち克つことによって商売に勝ち、仕事に勝ち、勝負に勝つことであります。
「一人では何もできない。しかし先ず一人が始めなければ何もできない」と申します。その一人こそ、あなた自身であることを忘れないでください
テレフォン説法第三十四回
テレフォン説法第三十四回(昭和五十九年十月)
テレフォン説法第三十四回をお送りします。
「石中に火あり、打たざれば発せず」
石も放って置けば、ただの石で、百年たっても動きもしないし、芽が出ることもない。
ところが、この石を金槌で打つと火花が出る。何でもないように見えるが、考えてみると不思議です。この火花をとって火種を造っていたのが、われわれの遠いご先祖です。
その火種が間違って燃え出したが最後、猛威をふるって野山を焼き尽くすほどの大きなエネルギーになります。道端に転がっている石ころにも、例外なく世界を焼きつくすような可能性があります。
問題はその石を打つか、打たずに放って置くかによって、無限大とゼロが分かれる点です。座禅のとき修行者を打ちすえる警策(きょうさく)という樫の棒があります。放っておけば何の役にも立たないような、時には社会の邪魔にさえなりかねない人間の、内に持っている可能性を打ち出すための策励の棒であります。
座禅のときには、あの棒でビシっと叩いて置いて、叩いた者も、叩かれた者も、共に合掌するところに深い意味があります。
この頃、何の苦労も知らずに過保護ななかで育ち、やたらに自己主張が強くなった若者を見ていると、せっかく無限の可能性を内に秘めているこの若者を、叩く人が居なかったのだろうか、と惜しい気がいたします。
彫刻家の柳原義達さんが最近こんなことを書いていました。
旧制中学を卒え、日本画家を志して福田平八郎先生を訪ねました。そして持参した「きんかん」の画をお見せしたところ、
「本当のきんかんを描いていない。ただきんかんの色を塗っているだけだ」 福田先生は目の前の火鉢の炭に息を吹きかけながら、「この燃え上がる炎、炎の心を描きなさい」と言われた。その時は目から鱗が落ちる思いだったそうです。
その後、ロダン、ブールデルに心酔して、彫刻の道に進んだ柳原さんは、高村光太郎先生のお宅へ伺うたびに、高村先生の熱を帯びた芸術論を聞いた。
「ミケランジェロは人間を人間として制作した。しかし、ロダンは人間の体の中に手を入れて、人間を体から引きずり出した。それがロダンの偉大さだ。ロダンは人間そのものを触手した」この「触手せよ」の一語は、二十六才の私に天の声として響いた と柳原さんは述べています。
戦後、ヨーロッパへ留学した時、ローマの駅裏の酒場で、全く偶然に評論家の土方定一先生にお会いしたとき、「柳原君、レジスタンスだ。抵抗精神がなければ芸術は生まれないよ」と言われたその一言で、私の創作の方向が決まった―そう述懐しています。
この三人の大先輩の言葉は、まさに座禅の警策以上に強く心を打ち、彫刻家としての柳原さんの今日を築きあげたものでありましょう。
このような立派な恩師に出逢える人は多くはないでしょうが、こちらに求める姿勢さえあれば、心の師匠は毎日の新聞の中にも、書物の中にも、無数にあることを忘れてはいけません。「われ以外、皆わが師なり」といったのは作家の吉川英治でありました。
「石中に火あり、打たざれば発せず」
テレフォン説法第33回
テレフォン説法第三十三回(昭和五十九年九月)
テレフォン説法第33回をお送りします。
阿弥陀経に出てくる「共命鳥(ぐみょうちょう)」。命を共にする鳥と書きます。これは奇妙な鳥で、一つの胴体に頭が二つあります。この鳥が極楽浄土ではいい声で歌を歌っているといいます。
その昔、この共命鳥が昼寝をしていたとき先に目をさました頭が、自分だけで周囲にあるおいしい木の実をみんな食べてしまいました。
あとから目をさました頭は、いいご馳走は既に全部食べられてしまったことに腹を立て相手を苦しめてやれと思って、毒の木の実を食べました。すると胴体は一つですから、毒が身体にまわって、二つの頭はもがき苦しんで危うく命を落とすところでした。以来お互いに心を入れ替え、仲よく暮らしているといいます。
私どものまわりを見廻すと、このような共命の鳥が沢山います。
労使の交渉が決裂、ストで何百万人の足が奪われたとか、国会で与野党が対立して審議がストップしたとか、親と子の断絶とか、どれもこれも、みな共命の鳥で、頭は別でも胴体は一つです。
タンポポや 幾日ふまれて 今日の花
道端に咲く一輪のタンポポの花でさえ、一年間の厳しい暑さ寒さにヂッと耐え、花を開くまでには、どれだけ多くの人に踏みつけられたことでしょう。
「よく耐える者こそ、よく育つ」と言いますが、昨年、宮城県で行われた陸上自衛隊の入隊式では、わづか40分の式典で、四百人の内、十六人が倒れたといいます。これで専守防衛ができるかと心配です。今の社会で欠けているものの一つは、耐える力、耐性です。精神的にも肉体的にも弱いようです。
毎週一回、私は沼津から静岡へ通っていますが、その途中のことです。
沼津の次の原駅で、若いお母さんが三歳くらいの男の子を連れて乗ってきました。この列車は朝の通勤電車で満員です。男の子は自分の座る席がないので、トタンに大声で泣き出しました。見かねて私は席をゆずろうと立ち上がると、その若い母親は「けっこうです」といって断り、泣いている子をあやすことも叱ることもしません。私はせっかくの人の好意を無にしてと、少々不愉快でした。
それから二つ目の吉原の駅で隣りの人が降りたので、その母親はやっと泣きやんだ子供を膝にして座り、私にこう申しました。
「さきほどは済みませんでした。この子は家で皆から大事にされて、どんな事でも自分の思い通りになるクセがついています。この四月から幼稚園に行くのですが、これではとても友達とうまく行く筈がありませんので、わたしだけの時はわざと冷たくしております。さきほど折角ご親切に言って下さったのに、大変失礼しました。」
今どき珍しいシッカリした人だと感心しました。
これは何も子供だけのことではありません。四苦八苦は人生の常であります。それを切り拓くためにも、雑草のような強さ、逞しさを必要とします。
「若い時に流さなかった汗は、年をとってから、後悔の涙となって出る」と申します。
テレフォン説法第三十二回
テレフォン説法第三十二回(昭和五十九年七月)
テレフォン説法第三十二回をお送りします。今日は無量寿経の一節。
人 世間の愛欲の中にあり
独り生まれ 独り死に
独り去り 独り来る
今から九年前、ギリシャの海運王 アリストテレス・オナシスが死にました。無一文から身を起こして、戦争と石油を踏み台にして、一世の富豪にのし上がった彼は、小さな国の海軍を凌ぐほどの船を持って居りました。
その華やかな女性遍歴は、世紀のソプラノ、マリヤ・カラスの心をとりこにして、自分の所有地である地中海の島に遊びました。更に悲劇の大統領と言われたケネディの未亡人、ジャクリーンを慰め、世界一豪華な自家用ヨットで水入らずの旅行をした末、遂に彼女を妻にすることに成功しました。
富と美女と名声、男が望むすべてを手に入れて、華やかな脚光をあびた彼も、晩年は必ずしも幸福ではありませんでした。
死の床に付き添ったのは、娘だけで、妻じゃクリーンの姿は無かったと言います。大富豪の死は孤独でした。いまわの際に彼の胸中に去来したものは、人生の勝利者としての満足であったか。それとも人間世界の空しさであったのでしょうか。
新聞が伝える彼の資産一兆五千億円という莫大な財力を以ってしても、遂に不老長寿を手に入れることは出来ませんでした。彼の死因となった筋無力症は、同時に金無力症でもありました。
人間は夫々の時代や社会の中で、生まれ育ちそして生きています。この複雑な人間関係の中で、何とかして自分の思いを通そうと考えます。人生が「自己実現の場」である以上それは当然のことです。
ところが、どんなに愛する人や、財産、地位、名誉を持っていても、あの世へ行くときは、何一つ持って行けないのが人間の運命です。そうして見ると、本当に頼れるのは自分以外には無いような気がします。しかしその自分さえも、果たしてどこまで頼りになる存在でしょうか。
生まれるのも、死ぬのも「私ひとり」 去るのも来るのも「この一人」であります。「身、みずからこれに当る。誰も代わるものなし」その孤独な自分を強く踏まえて、人生に雄々しく立ち向かう自信と勇気が、自分にあるだろうか。こんな時こそ、何か信仰を持っているひとは、幸せです。それは一人ぼっちでないからです。
一人居て喜ばば 二人と思うべし
二人居て喜ばば 三人と思うべし
その一人は親鸞なり
「同行二人」という言葉を思い出します。
宗教学者の岸本英夫博士は、ガンに侵され「あと三ヶ月の命」と医師から宣告されるや死に物狂いで、やり残した仕事の完成に打ち込みました。
「われわれは毎日、人と会っては別れて居り、再び会えるという保証はない。死とは別れであり、我々は毎日死んでいるのだ」と達観して、出会う人ごとに別れを惜しんだといいます。
人生とは所詮「出逢いと別れの場」であるのかも知れません。
テレフォン説法第31回
テレフォン説法 第三十一回(昭和五十九年七月)
テレフォン説法第31回をお送りします。
少々古い話で恐縮ですが、一昨年の二月、ホテルニュージャパンで大火災、その翌日には羽田で日航機墜落という惨事が起きました。
火災の時、テレビは燃えさかるホテルの生生しい実況を映し出していました。隣の窓から物凄い炎が柱のように吹き出している中で窓から身を乗り出した泊り客が、炎と煙にあおられています。ビルの九階からでは飛び降りることも出来ず、部屋の中に戻ることも出来ず、すさまじい炎は刻々と迫ってくる凄惨な場面を、ブラウン管は映し出していました。
仏教でいう三定死(さんじょうし)。進むも死、止まるも死、退くも死、というのはまさにこの事です。地獄は決して遠いところではなくて、東京のド真ん中に在ることを痛感しました。
かくして台湾からの旅行客を含む32人が、無惨にも犠牲になってしまいました。生きながら火葬にされた人々の思いはどんなであったでしょう。
このとき頭に浮かんだのは「火宅無常の世界」という言葉です。親鸞聖人の歎異抄(たんにしょう)にこう書いてあります。
「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞ、まことにておわします。」
消防法に基く防火基準など、あって無きが如き欠陥だらけのホテルが、全国八万の旅館の中で、わづか三百の最優秀ホテルに登録されていたと聞いては、「みなもって、そらごと、たわごと、まことあることなし」と言いたくもなります。
ところが欠陥ホテルの翌日は「欠陥操縦士」ときたから二度ビックリです。
羽田沖で墜落した日航機の機長は「精神分裂症」でありました。その結果は死者24人、重軽傷者150人という大惨事です。
全く他人事ではありません。精神障害のある操縦者に命をあづけて旅行しなければならないとすれば、それは気狂いに刃物以上で、人命軽視も極まったとしか、言いようがありません。
最近の大事故の殆どが、機械と人間との接点で起こっています。機械が複雑化し、精密化すればするほど、これを扱う人間のストレスは高まる一方です。安全性を機械や構造だけに求めて、それを扱う人間自体を忘れると大変なことになる―という教訓を学び取らなくてはなりません。
先日も賓客を案内して東京から沼津へ来る時、東京駅でこだまのグリーン券を買おうとすると「グリーン券は満席です」と断られました。ホームへ来て見るとグリーン車はガラガラ。車掌に聞くと席があるからどうぞ、という。結局三島駅で下車するまでグリーン車の客は十人そこそこ。これが人間の有り余る国鉄の姿とは思いたくないが、「人は少数で頑張れば、だれでも精鋭になる」という来島ドックの坪内社長の言葉もある。
東京駅の出札係君よ、そんな小さなことと笑うなかれ、諺いわく「ネズミ壁を忘れる。壁ネズミを忘れず」仔細なことでも乗客の方はなかなか忘れてくれないもの。
それは兎も角、近頃はあまりにも「そらごとたわごと」が多すぎるように思います。皆さんいかがでしょう。
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つい先日の10月24日、沼津東急ホテルにて本テレフォン説法の著者であります、真楽寺住職および日本アイバンク協会最高顧問勧山弘氏の「ヘルシィ・ソサイエティ賞および今泉賞」授賞式が盛大に行われました。
ヘルシィ・ソサイエティ賞(http://www.healthysociety-sho.com/)は他者を助け、立場を超えた献身的な努力を社会に対して惜しまない方を対象とした賞で、非常に権威のある賞であると共に、人柄やこれまでの社会的功績を多いにたたえるものであります。
また、今泉賞は日本で初めて目の角膜移植手術を行い成功させた今泉嘉一郎先生を記念とした賞であり、勧山先生はその第一回目の受賞者となりました。両賞とも、先生のお人柄、そして長年にわたるアイバンク活動のご功績に対しての受賞であります。
当社の先代社長である佐野寛が勧山先生と同級であり、その友情から、共にアイバンク活動を推進し、テレフォン説法を当社の顔として広めさせて頂かせて以来、勧山先生には非常に大切な財産を受け取り続けております。勧山先生のテレフォン説法を二十余年に渡り、毎月皆様へ送り続けられることを非常にうれしく思う次第とともに、先生の今回の受賞を社主一同心よりお祝い申し上げたい気持ちでいっぱいです。
これからも、テレフォン説法をお届け続けられることを大変うれしく思い、また皆様におかれましてもご高覧いただけることを心よりうれしく思います。引き続きのご愛顧、よろしくお願いいたします。
佐野新聞店
テレフォン説法第三十回(昭和五十九年六月)
説法第三十回(昭和五十九年六月)
テレフォン説法第三十回をお送りします。
芽ぶくという 奇しきいのちの はたらきを
かしこみおもう 庭ながめつつ
一輪の花が咲くのも、青葉が茂るのも、永い間の蓄積があってのこと。さりとて、いかに美しくとも、去年の花が尚も今年の枝にあればその醜にたえぬでありましょう。新陳代謝は天地の法則であります。
そうした移り変わりの中で、年ごとに新しく芽ぶくところに、生命の不思議があります。
椿千年 さらに今年の若葉なり(井泉水)
釈迦の肉体は二千五百年前に亡びました。しかし絶対に亡びないものがある―これは私ども仏教徒の確信であります。
釈迦といえども、みずからが説いた「つくられたるもの、うつりゆく」という諸行無常の原理に従って、生老病死の道を辿ってゆきました。
人間たれしも老化は好みませんが、さりとてそれから逃げる術もないお互いです。三日前に会った人の名前が思い出せない時など、否応なく年令を感じさせられます。
生命科学研究所の中村室長は申します。
人間が生きてゆく過程で最大の変化は、受精卵が個体へと変化してゆく発生の時期です。たった一個の細胞である卵が、二個、四個、八個と次々に増え、臓器や手足が出来ていきます。手が出来るときには、先ず握りこぶしのような塊ができて、その中に四本の筋が入ります。この筋に当たるところの細胞は死んで消えてゆき、こうして五本の指が出来上がります。
母親の胎内で既に死という現象があるとは考えさせられます。所詮、生と死は隣り合わせ。それだからこそ、我々は年ごとの変化を前向きに受け止めて、老化現象さえも意味のあるものにする―そんな生き方が大切ではないでしょうか。
文豪ツルゲーネフにこんな話があります。彼が朝早く散歩をしていると、見るもあわれな年老いた乞食に呼び止められました。
ツルゲーネフはポケットへ手を入れて、次から次へさぐったが、財布は勿論ハンカチさえも持っていません。
「おじいさん許しておくれ。私はいま何も持っていないのだ」 途方にくれたツルゲーネフは、そう言って汚れた乞食の手を握り締める他ありませんでした。
すると乞食は「檀那様、何をおっしゃいますか。私はこの年になるまで人生の裏街道を歩いてきましたが、けさのあなたの握手ほど心に沁みたものはありません。ありがとうございます。」といって、シワクチャの手で握り返してきました。
家へ帰ったツルゲーネフは早速ノートを取り出して「私はけさ思いがけなくも尊い心の施しを受けた」と書き込みました。荒れすさんだ世の中でも、暖かい待応の中から、幸せの花は開くことを教えた一コマであります。
「人は老いるうちに、より愚かになるか、或はより賢明になるかの何れかである」と申します。中高年の人々が社会の荒波で磨かれ、豊かな経験で裏打ちされた人生智をもって、世間に潤いと温かさを与えることが出来ればそれは立派な仕事であると思いますが、如何でしょう。
真楽寺 勧山 弘
テレフォン説法第二十九回
テレフォン説法第二十九回
テレフォン説法第二十九回をお送りします。
「平常心これ道」 無門関の言葉です。
横浜に三渓園という名園があります。造園の名人、原三渓がつくったものです。
有隣堂発行の月刊誌で「原三渓を語る」という座談会の記事を読みました。谷川徹三さんがそこで次のような追想談を述べています。
三渓先生のお茶の会で、生涯忘れることのできない二つの席がある。
その一つは昭和の初めの頃、喫み(のみ)回しのとき哲学者の和辻哲郎さんが喫み口を拭こうとして、手もとが狂って茶碗の一部をポロっと欠いてしまいました。その茶碗は「白雨」という名器です。みなギクっとしました。そのとき三渓先生は少しもあわてず「少し茶碗を傾けて下されば、あとずっと一巡りいたしますから」。この一言で茶会は無事に済みました。まさに平常心であります。
それから半年か一年後に、おなじ顔ぶれ、同じ道具で茶会を催しました。三渓翁は例の茶碗「白雨」を出して、「この通りちゃんと元のようになりました」と言ってサラっとしていたそうです。
もう一つは、三渓翁が息子さんを亡くして一週間後に、追善の心を込めて開いた茶会です。翁は令息の死を一言も口に出しません。ただ三渓園の蓮の花が見ごろだからといって招かれました。
朝早く蓮池の傍らの建物に通されました。出された朝とお斎(おとき)が、溜め塗りのお椀に蓮の葉を敷いて、その上に数枚の蓮の赤い花弁を置き、花弁の中へ飯を盛る。いわゆる「浄土飯」であります。床の間の妙用禅の掛け軸と浄土飯で、翁は自分の心の中を無言の中に語られました。
三渓翁が名器をいためた客の粗相に顔色一つ変えず、茶事を滞りなく終えた「平常心」には、思わずうなってしまいます。"客の粗相は亭主の粗相、亭主の粗相は客の粗相"と茶人はお互いに戒め合います。
お茶で有名な千利休の孫に宗旦という人がいます。知り合いの安居院の住僧が庭に咲いた見事な妙蓮寺椿の一枚を、小僧に持たせて宗旦のところへ届けさせました。ところが小僧は途中でつまずいて転んだ拍子に、椿の花が落ちてしまいました。ささ困ったのは小僧です。一度落ちた花は元の枝には戻りません。枝と花とを両手に持った小僧は、思案にくれながら宗旦のもとへ参りました。
これを聞いた宗旦は小僧の失敗を咎めず、茶席の床を空白にして、柱に利休から譲られた竹筒をかけて、花のない椿の枝を投げ入れその真下に椿の花を置きました。
そして一服の茶を立てて飲みながら、「小僧どうだ、落花の風情もまた一入ではないか」
人の過失を許して、花を持たない枝と、枝を持たない花。ともに無価値な存在に「美」を見つめる「人生のお点前」は、まさに見事の一言につきます。
誰もが捨てて顧みないものから、真、善、美、を見据える目は、人生の見方にも通じるように思われます。
テレフォン説法第二十八回
テレフォン説法第二十八号 (昭和五十九年4月)
テレフォン説法第二十八回をお送りします。今回は阿含経の一部
ひとの牛をかぞえるは
道を求める者の要にあらず
これは釈迦の二人の孫弟子が、当時のバラモン教の経文を暗誦(あんしょう)して、その上手下手を競っているのを諭した言葉です。
「お前達はそんな馬鹿馬鹿しいことをして何になるのか。それではまるで他人の牛を勘定しているようなもので、道を求める者のやるべきことではない」と注意されました。
牧場の牛飼いが他人の牛の数をいくら数えても、自分の牛が増えるわけではありません。私どもの生活を考えると、この牛飼いを笑えない時があります。
「サラリーのために、一日八時間さえ働けばいい」と考える人があったら、それは月給のために身を売っている人です。
「仕事が義務なら人生は地獄だ。仕事が楽しみなら人生は天国だ」といったのはゴーリキーでありました。
仕事に対して何の情熱も持たず、工夫も研究もせず、夕方の退社の時刻さえくればいいとなったら、そこには生き甲斐もなく、人間としての成長もありません。そんな生活からは道を求めるという態度も出てきません。ならば「道を求める」とは何でありましょう。それは仕事と一体になっている自分を発見することです。経典を読みながら自己を掘り下げてゆくことです。
親鸞聖人は申しました。「弥陀五劫思惟(みだごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」
阿弥陀仏の本願は生きとし生ける、いかなる者も救おうと呼び給うて居ます。それをよく考えてみると、ひとえに親鸞ただ一人を救うためであった、と告白しています。
たとえば五人の子供のある母親は、五人皆おなじように育てたのですが、五人の子を同時に育てたのではありません。最近五つ子を産んだ人もいますが、これは例外で、普通は一人一人別々に産み、別々に育てたわけです。
そこでは五人の子供は親の愛を五分の一ずつ分け合ったのではなく、一人一人が親の全力で育てられ、全力で愛されてきたわけです。従って、一人一人がわれわれ一人のための母親であります。
同じように仏様の慈悲は、親鸞一人が正客であって、他のあらゆる人はお相伴でありました。親鸞にとって経文の言々句句は、彼の胸をはげしくゆさぶり、人間としての成長と共に、救済へと導かれてゆきました。
商店も会社も役所も、すべて人が働く場所は、そこがみんな自分の救われる場所であり自己成長の学校でなければなりません。即ち「資生産業これ仏道」であります。化粧品の資生堂という社名もここから出ています。
お店へきてくれたお客を納得させ、満足させることが、同時に自分の修行であって欲しいものです。自分と他人がピッタリ呼吸のあった境地、これを「自他一如」といいます。
自分も他人も、個人も会社も、仕事の中で自然と成長し高められて行く世界。これが「自分の牛を数える」姿でありましょう。
テレフォン説法第二十七回
テレフォン説法第二十七号(昭和五十九年三月)
テレフォン説法第二十七回をお送りします。今日は法句経の一部
「匙(さじ)は器につけども、その味を知らず」
スプーンはコーヒーの中にドップリつかっていても、コーヒーの味を知らない。
なんと見事な「たとえ」ではありませんか。釈迦の説くところは極めて平易で、わかり易い教であったに違いありません。
現在でも余り教育の普及していないインドです。それが二千五百年も前、むつかしい仏教哲学を説いたところで、誰が理解したでしょう。
いま私共は漢文に訳された経典を棒読みにしています。いくら聞いても珍文漢文(ちんぷんかんぷん)でチットもわからないことを「まるでお経のようだ」といいますが、これでは困ります。
一方最近は漢文に対する読解力が著しく低下してきました。当用漢字、漢字制限などがそれに拍車をかけています。
漢字は別としても、自分の意志でなく、親の希望で上級学校へ進学した生徒が、果してどれだけ真剣に勉学に打ち込むでしょうか。
大学卒がただコーヒーの中に何年も漬かって出てきたスプーンに過ぎないとしたら喜劇です。大学レジャーランド説も、こんな所から出てくるのかも知れません。
豊かな日本では、子供達は大変物持ちです。学習机、自転車、百科事典、テープレコーダー、ステレオ、腕時計。ピアノは六人に一人、専用テレビは九人に一人が持っています。
子供の教育に対する母親の熱心さは世界でトップ。その中で母親の不安は、子供に根気が足りないこと。物事を進んでやらないことだといいます。それに引きかえ、乏しく、家庭環境にめぐまれなかった子供が、かえって生きる力と知恵を身につけていきます。その反省が、おしんブームを引き起こしたのでしょうか。
弘法大師は申しました。「心暗き時は即ち遇う(あう)ところ悉く(ことごとく)禍いなり(わざわい)。眼明らかなる時は途にふれて皆宝なり」と。
過剰に与えることによって、わが子の眼をくもらせ、自分で獲得する力を奪っている親が世の中には何と多いことでしょう。
本人に意欲がなければ、すべては猫に小判、「宝の山に入って、手を空しうして帰る」ような生活をしているお互いかもしれません。
自ら水の中にいて、渇を叫ぶが如くなり
長者の家の子となりて、貧里に迷うにことならず
(白隠 座禅和賛)
日蓮上人の有名な「土籠御書」の一説に
「法華経を余人の読み候は、口にばかり言ばかり読めども心は読まず。心は読めども身に読まず」
幾たび経文を読んでも、その教を身に実行しなければ、何の価値もないというわけです。
子供のとき、祖母はいつも私に言いきかせました。「お説教は耳で聴くものではない。皮膚の毛穴を通して聴け」と。日蓮上人の説く「身読」のむつかしさを痛感します。
昔は「不言実行」を尊び、自己の行為を口にすることはつとめて避け、仕事自体の自然の語りかけに任せました。現代は仔細なことでも吹聴して、甚しきは誇大に宣伝して恥じる処がありません。
PRの時代なればこそ、「人、見るもよし見ざるもよし、われは咲くなり」の心境を大切にしたいものです。
テレフォン説法第26回
テレフォン説法第二十六号 (昭和五十九年二月)
テレフォン説法第二十六回をお送りします。
今日は比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄の言葉、「道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なし」
伝教大師が比叡山に延暦寺を建立した素晴らしいエネルギーは、桓武天皇の厚い帰依を得て、比叡山は寺であると同時に、日本仏教の最高学府でありました。
従ってここには天下の秀才がキラ星の如く集まってきました。かくしてこの比叡山から鎌倉期の仏教のすべてが、その源を発することになります。法然も親鸞も日蓮も、道元栄西の禅僧たちも、一度はこの山で修行をした人々です。次の時代の思想界はすべて比叡山延暦寺をルーツとして花をひらくことになりました。
最澄は晩年になって、弟子達に申しました。
「我がために仏を作る勿れ(なかれ)。我がために経を写す勿れ。我が志を述べよ。道心の中に衣食あり。衣食の中に道心なし」
自分が死んでも私のために仏像を作って、拝むようなことをするな。私を供養するために写経などするな。そんな時間があったら、「わが志をのべよ」 今で言えば亡き社長のあとを受けついだ者は、前社長の創業の精神を受けついで、実践してゆくことが大切だということでありましょう。
「道心の中に衣食あり」 命がけになって道を求め努力すれば、衣食はおのづから恵まれるものだ。しかし衣食の足りている人間、必しも道心のある人ではない。
まことに透徹した論旨であります。
論語の著者は「学ぶや禄その中にあり」と申しました。勉強して一芸一能に秀でれば、おのづからサラリーがついてくる。「ベテランは失業せず」であります。
お互いの職業というものは、目先のところでは、毎日三度三度の生活の資を得るためのように見えますが、実際はその仕事を通じて社会のお役に立つという使命感が無ければ事業も発展しないし、人生の大はなしとげられません。自分が毎日の仕事に真剣に取り組んでいれば、仕事の方からわれわれの人格を磨いてくれるものです。
「眼(まなこ)あきらかなるときは、途にふれて皆たからなり」と弘法大師空海は申します。こちらに求める気があれば、見るもの聞くものすべてが宝であります。「われ以外みな我が師なり」と言ったのは作家の吉川英治でありました。
日本経済が高度成長の時代には、値段相応の機能をもった商品であれば売れました。ところが今や、ユーザーが求めるものは「満足」できる商品を飛び越えて、「感動」するようなものを求めていると言われます。
大変な時代になりました。食うか食われるか激動のとき。情報過多。不透明の時代。アメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひく。なんのかんのと言われるが、結局は自分自身の問題ではないのか。
人生は永い永いマラソンです。所詮己に克つことによって競争に勝つ。その時にあたって、もう一度この伝教大師最澄のことばを思い出してください。
道心の中に衣食あり
衣食のなかに道心なし
テレフォン説法第二十五回
新年明けましておめでとうございます。とは申しましても、既に17日、ご挨拶が遅れたことをお詫び申し上げます。
去年一年はどのような一年でしたでしょうか?今年の初めのテレフォン説法は、昭和59年の一月号です。
この年は、前年よりも成長が見込まれ、この後のバブル景気に繋がってゆく上り調子の年でありました。
昭和59年というと、随分と前にも感じます。そんな時代のテレフォン説法を読みながら、ふと去年はどうだったかな、その前は・・・と少し振り返るのも良いことだと思います。
温故知新という言葉もありますが、昔のことや経験をなくして前に進むことはできないと思います。是非、そういったことに今年のテレフォン説法アーカイブスを活かしていただけると幸いです。
本年も宜しくお願い致します。それでは続きをどうぞ・・・
テレフォン説法第二十五回(昭和五十九年一月)
明けましておめでとうございます。
テレフォン説法第二十五回をお送りします。
いよいよ、昭和59年がスタートしました。昨年は国の内外でショッキングな事が沢山ありましたが、国内では衆議院の総選挙で年を越しました。国外ではノーベル平和賞に輝いたポーランドのワレサ氏は、受賞式に夫人が代理で出席して事なきを得ました。
物の足りないポーランドでは生活物資を買うための行列が、雪の中で延々と続いています。緯度ではカムチャッカ半島くらい。その寒さの中で列をつくって食料を買うポーランド国民のみじめさを思わずに居られません。
それに引かえ、日本は誠に豊かな国です。先年、台湾へ行ったところ、台北の目抜き通りの大きな広告塔に、「筵の上に居ることを忘れるな」と書いてありました。全く忘れていた「臥薪嘗胆」という言葉が、ここで生きているのに驚きました。それほど日本は太平です。良い状態が永続きするのは誰しも願う処ですが、これは大変むずかしい事です。
評論家の扇谷正造さんが言いました。
ニューヨーク・タイムスの社員が定年でやめるとき「自分はタイムスの存続のために生涯をささげた」と言い、新入社員は「タイムスの存続のために働く」と言う。両者とも「存続のために」という言葉を使っています。
現在一つの企業を存続させてゆくことのむつかしさは言うまでもない。タイムスの社員は「コンティニュイティ」といっている。仮に「存続」と訳したが、最もふさわしいのは「灯々無尽(とうとうむじん)」と訳すべきである―と扇谷さんは申します。灯は「ともしび」 これを二つ重ねて灯々。無尽は「尽きることなし」
この「灯々無尽」の語は維摩経の「無尽灯」という言葉から生まれています。
一人の法をもって 百千の人を開導し
展転(てんでん)して尽きざること
一灯をもって 百千灯を燃す(ともす)が如し
冥き(くらき)者みな明かなり 明ついに尽きず
一人が釈迦のおしえを聞いて他の人に伝えると、それは次々にひろまって、いつまでも尽きない。それは丁度、一つの灯が百千の灯にひろがるようなものだ―という意味です。
神奈川県の長洲知事はこう言います。
「いくら赤々と燃えていても、一本のローソクはやがて燃えつきて消える。しかしその一本のローソクでも、次のローソクからまた次へと、次々に灯をともし続けてゆけば尽きることはない。永久に無尽である。
人間は生まれ、育ち、友をもち、子を生み育て、やがて年をとってゆく。これは誰でも避けられませんが、こうして生命の灯は縦に横に広がり、光り続けます。自分が親や友達先輩から受け継いだ灯は、だれかの心に点じたい。身近の何人かに伝えたい。かくしてみんながお互いに灯々無尽の願いを込めて生きる世の中を作りたい」と
この「灯々無尽」は何もニューヨークタイムスだけのものではなく、商店においても、企業においても、更に一つの民族についても言えることであります。
要は自分が引き継いだ一灯を、不確実性の時代といわれる現代に於いて、どのように生かし、そして次の世代に伝えてゆくか。その方法と内容の問題でしょう。
テレフォン説法第二十四回
テレフォン説法第二十四回
テレフォン説法第二十四回をお送りします。
生死(しょうじ)のこと おごそかにして
無常迅速なり
光陰おしむべし 時ひとを待たず
誰しも若い時はこんな言葉を聴いてもピンときません。ところが定年近くなると、人間は行く末のことを考え始めます。
レイ・ジョセフはこう言いました。
「神様は万人にひとしく一日24時間という時間を与えた。きのうの24時間はもはや手にする術も無い。あすの24時間はまだ手にすることは出来ない。いま君が手にしているきょう24時間を、どう有効に使うか、人生の勝負はその収支決算にある」と
人間ひとしく一日24時間の中に生活していながら、一方には世界を動かす人物もいるし、片や自分一人をコントロールできない人もいます。時間とは不思議なもので、それ自体は水のように透明無色です。要はそれをいかに有効に使うか、上手に管理するかに係っています。
今は亡き友松円諦氏は仏教会きってのお話の上手な人でした。戦後間もない頃、沼津で講演をお願いしました。ところが定刻になっても聴衆はまだ半分も集まっていません。私は何のためらいもなく先生に申し上げました。
「沼津時間でまた聴衆が少いから、もう15分ほど待ってください」先生は答えられました。
「定刻に来た人を待たせて、遅れてくる人に合せて開会すれば、この次には、いま定刻に来た人も遅れてくるようになる。それは兎も角、君考えても見たまえ、百人を一分待たせれば百分が無駄になる。三百人を十分待たせたら三千分が無駄になる。三千分といえば50時間に当るんだよ」
その言葉はまさに青天の霹靂であった
「いま会場に集まっている人を待たせてはいけない。君の納得のいく人数が集まるまで何か一席話なさい。私も聴かしてもらうから・・・」
さあ大変な事になってしまいました。日本一の法話の名手を前にして、まだ30才そこそこの若僧の私が、何の用意もないままに、真打ち登場までの「前座」を勤めることになりました。冷汗三斗の思いであったことは言うまでもありません。
しかしこの体験が私に二つのことを教えてくれました。一つは時間を大切にせよ。三百人を待たせれば50時間が空費される。
第二は、いかつ如何なる場合にも、20分や30分のスピーチは即席でやれるだけの用意がなければいけないという事。この二つは私の人生にとって大変貴重な教訓となりました。
時間を大切にし、且つ有効に使うということは、自分だけでなく、他人の生命も尊重することになります。吉川英治の言葉を借りれば「人生は往きはあるが、帰りのない片道切符の旅」であると申します。
お互いに一期一会の生涯であります。「自分にしかできないような人生を演じたい」これは万人が念願し希望する処でありましょう。その為にも取り返しのつかない時間の重さを再認識したいと思います。
光陰おしむべし 時ひとを待たず
今年もやがて暮れて参ります。どうかいい年をお迎えください
テレフォン説法第二十三回
テレフォン説法 第二十三回
テレフォン説法第二十三回をお送りします。
仏教が目的とするところは、生と死の問題をいかに解決するかということです。生と死は別々ではなく、生の終着点が死ですから、この両者は一本のレールの上にあるわけです。
人間いかに生きるべきか。十人十色の生き方があるように、十人十色の死にざまがあるわけです。最もよく生きた人が、最もよく死ねる人かも知れません。
古人は申しました。「鳥のまさに死なんとするや、その声かなし、人のまさに死なんとするや、その言やよし」
それだけに人間がいまわの際に残した言葉は中々興味があります。
先ずドイツの有名な哲学者カントが、八十年の生涯で最後に残した言葉は「これでよし」であったといいます。彼は生涯独身で過し、一生をただひたすら哲学に打ち込みました。日課である朝の散歩をしている姿を見て、街の人々は時計を合わせたという程、規則正しい生活をしたようです。
何れにしても、あとに何の思い残すこともなく「これでよし」といって逝ける人は幸せです。「星の輝く空はわが上に、道徳律はわが内に」という言葉は、まさにカントの人間像を捕えて余す処がありません。
次に不滅の大詩人ゲーテの最後のことばは「もっと光を」でありました。
八三才という永い人生の終りが近づき、視力が衰えて目の前が暗くなったので「寝室のヨロイ戸を開けて、もっと光を入れてくれ」と言ったのかもしれませんが、大詩人ゲーテであるだけに、何かもっと深い意味があるように感じられてなりません。
次に海軍提督ネルソンがトラファルガルの海戦で砲弾をうけて倒れた時の言葉、それは「余は余の義務をなし終えたなり」でありました。この海戦で敵のフランスとスペインの連合艦隊は全滅しました。国家に対する忠誠と、提督としての責任感にあふれた言葉です。
国内では白隠禅師の歌があります。
「今までは他人(ひと)のことだと思いしに
おれが死ぬとはこいつたまらん」
東海道に過ぎたものが二つある。駿河の富士に原の白隠とまでうたわれた名僧です。生死の問題はとうの昔に悟りきっている白隠だけに、何とも言えない味わいがあります。
それに比べると、甲斐の国、塩山にある恵林寺の快川和尚が、信長の兵に追われて山門と共に焼け落ちた時の末期の偈(げ)
安禅は必しも山水をもちいんや
心頭滅却すれば火おのずから涼し
洵に(まことに)厳しさと共に凄まじい迫力を感じます。
最後に親鸞聖人の御臨末(ごりんまつ)の御書です。
わが歳きわまりて、安養浄土に還帰(げんき)す
というとも、和歌の浦曲(うらわ)のかたを浪の
寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ
一人居て喜ばヾ二人と思ふべし
二人居て喜ばヾ三人と思ふべし
その一人は親鸞なり
九十年の生涯を、多くの悩める人々と共に、同甘共苦した親鸞の、静かなそして透徹した心が浮き彫りにされています。
以上幾人かの個性豊かな人々の人生最後の言葉をご紹介申し上げました。如何でしたでしょうか。
テレフォン説法第二十二回
テレフォン説法第二十二回(昭和五十八年十月)
テレフォン説法第二十二回をお送りします。
「偉大とは方向を与えることである」ニーチェの言葉です。
トップに立つ人は孤独であると言われますが、昨今のようにテンポの早い時代には、指揮官のカジ取りが一つ間違えば大変なことになります。今ほど方向をあたえることが難しい時代はないのかも知れません。
キナ臭い中東の空で、二年前、偉大な星が消えました。エジプトのサダト大統領です。世界を股にかけたキッシンジャーに言わせると「このエジプトの政治家と並ぶと、世界のどんな政治家も小さく見える。味方にすればこれほど頼もしい男はいないが、敵に回せばこれほど憎らしい男もいない」
そのサダトいわく「必要なのはビジョンや知恵ではなく、強力なリーダーシップだ」と。彼が強力な指導者として真価を示したのは、アラブ人としては不倶戴天の敵であるイスラエルを訪問したときの歴史的決断であります。この時は「スフィンクスが動いた」と言われました。
彼はイスラエルの国会へ乗り込んで世紀の大演説をブチました。
「平和の障害は70パーセントが心理的要因に由るものだ。にも拘らずどうしてこの壁を打ち破るために、我々は手を差し伸べないのでしょうか。アラブ人であれ、イスラエル人であれ、戦争で失われる命は同じ一個の人間の命である。両親のいつくしみを奪われた、あどけない子供達は、アラブの子でも、イスラエルの子でも同じく我々の子供たちだ。その子供たちが安穏に暮らせるようにするのは我々の全責任である。いかなる兵士からも一滴の血を求めない平和を求めて、私はいまここにやってきた」まさに歴史の残る名演説でありました。
数百年の歴史のカラに閉じこもっているアラブの世界に、一つの新しい方向を身をもって示したサダト大統領は、まさに偉大な人物でありました。しかしその結果は、兵士の血を流さずに、自からの血を流すことになってしまいました。
二千五百年の昔、釈尊は人生の四苦、生老病死に感じて人間の救われる方向を説き示しました。釈迦の説くところは決して悟りすました静寂の一面だけではありません。
毎日托鉢をしながらも、世間のいたましい後継に胸が疼いていたことでしょう。同胞の上に悩みをもち憂いをもつ。その憂いの中に自分の人生の意味を見出す人こそ「ほとけ」であるに違いありません。
我々はにわかにこうした釈尊のような心境に到達できよう筈もありませんが、仏教徒の一人として、せめて自己一身に安住することなく、世の不幸な人々の上に思いをかけ、憂いを共にして、ほとけの本願の一分なりともわが身の上に実践して行きたいものであります。
そういう一歩一歩の間に、はじめて私たちの個人的信仰も確立し、そこに一分地上のほほえみが感じられないものでしょうか。
今日はニーチェの言葉「偉大とは方向を与えることである」についてお伝えしました。
テレフォン説法第二十一回
テレフォン説法第二十一回(昭和五十八年九月)
テレフォン説法第二十一回をお送りします。
その昔、釈迦が祇園精舎に居られた時、国王に招かれて王舎城で説法をされました。お話が終ったのは夜になり、あたりは暗くなっていました。王様は釈迦の帰りの道が危なくないように、道の両側に沢山の灯明をつけて送ることにしました。
このとき王舎城の城下に一人の貧しい老婆が住んでいました。自分も一灯を釈迦に供養したいと思い、なけなしの財布から僅かの油を買い求めて、これを灯火にして献じました。
その晩、強い風が吹いて、すべての灯火は消えましたが、この老婆の捧げた灯火だけは、風の為に消えることなく、煌々として夜通し燃え続けていました。ここから「貧者の一灯、富者の万灯」という言葉が生れました。
今の日本は家庭も社会も国も、余りにも物が豊かなために、心が忘れられてしまいました。すべてが金や物で片付けられているような気がしてなりません。
金や物は大切です。これが無くては私共は一日も生きてゆけません。しかしその物、金をつくり出すのは人間であり、心であります。
心ここにあらざれば 見えども見えず
聞けども聞こえず 喰らえども
その味をしらず・・・・と申します。
関西の小学生が作文に書きました。
僕はお母さんが大すきだ。だから一生懸命に勉強して、いい大学を卒業して、いい会社へ入って、お金をたくさん貯めて、お母さんが年をとったら、とびきり上等の老人ホームへいれてあげたい・・・
極端な例ではありますが、実際あった話です。心の伴わない物金がいかに空しいか。
三年ほど前、フィリピンのマルコス大統領夫妻は、結婚25周年の銀婚式を迎えました。イメルダ夫人がこの日のために心に描いてきた、公称一億ペソ(三十億円)、実際には四億五千万ペソをかけた新築の大聖堂で、ローマ法王立ち会いによる銀婚式という計画は、教会の「ノー」という返事であえなくついえてしまいました。
シン枢機卿の回答は「いまフィリピンの人々が望んでいるのは、豪華な祭壇よりも、コストの低い住宅と医療施設であり、一億ペソがそうした方面に使われた方が、より賢明ではないでしょうか」という立派な意見でした。
これこそ「富者の万灯」に対する頂点の一針であります。
現在、経済大国と目されている日本が、東南アジアの発展途上国の目に、どのように映っているかを考えるとき、今こそ検討すべきは経済協力の在り方であると思います。
物、金の援助もさることながら、相手の国民の「心に響く協力」こそ必要であるように感じます。
例えば、医師不足に悩んでいる国に対する国に対する医療援助は、最も感謝されるであろうし、日本の費用で、優秀な学生を希望する国へ留学させることも良いことだと思います。
要は貴重な国費が「富者の万灯」になることなく、相手国の中に一人でも多く「日本ファン」を育てることが、わが国にとっても望ましいことでありましょう。
今日は「貧者の一灯、富者の万灯」についてお伝えしました。
テレフォン説法第二十回
テレフォン説法第二十回(昭和五十八年八月号)
テレフォン説法第二十回をお送りします。
岩の根も 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
毎日の生活が水の高さより低きに流れるが如く、淡々としてゆけるものならば、何の苦労もありません。ところが実際には、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり満身創痍になってしまいます。性格が強ければ強いほど、風当たりも強くなります。
昔の人は、男が我が家を一歩出れば七人の敵があると申しました。人間の考え方は十人十色で、顔かたちが違うように、一人ひとりみな考え方も違います。その中で生きていかなければならないのが私共の人生です。いいことよりも、いやなことが多い世の中です。小さなことに一々ひっかかっていては、こちらがやり切れません。サラっとゆきたいものです。
「ひとは黙して座するをそしり、多く語るをそしり、また少し語るをそしる。およそこの世にそしりを受けざるはなし」(釈迦)
世間は誠にうるさいもので、「あいつはだまって何も言わぬ」といっては非難し、「しゃべり過ぎる」といってはそしり、「少しく語る」といっては難癖をつけます。世間の口に戸をたてることは出来ません。
自分に忠実に生きようとすれば、一部の人の非難を覚悟しなければなりません。そうした「そしり」を無視せよというのではなく、寛大な耳を持って聞くのもいいし、反省の材料とするのもいいでしょう。しかし、それによって初心を枉げて(まげて)いては何にもなりません。こんな川柳があったように思います。
気に入らぬ風もあろうに 柳かな
いつか飛鳥の里を廻ったとき、お寺の山門に書いてあった言葉が忘れられません。
南無 観世音菩薩
我に 負ける力を与え給え
勝つために力が欲しいのではありません。瞋(いかり)と怨を残さないで負けるには力がいります。
サラリと負けることが出来るなら、世の争いは無くなるでしょう。なにくそ負けてたまるか-と反発する処に争いが起こります。それが実りを齎す「負けじ魂」なら結構、とにかく世間は感情やメンツに拘り易い。争うところに怒りと憎しみの地獄が出現します。この地獄を破るものは慈悲の心しかありません。
一人の青年が言いました。「私の家ではお母さんがいつも負けている。親父にも、僕たち子供にも、母はいつもハイハイといって、どんな無理も黙って聞いている。しかしその母がいてくれるので、わが家は平和で楽しい」
黙って負けて、相手の無理をそのまま包んでゆく。そんな大きな負ける力を成就したいものであります。
日蓮上人じゃ申しました。
「女人はものに随って、ものを随える身なり」
母親は家中の人のいう事にハイハイと随いながら、結局は自分の思うところへ皆を持っていってしまいます。大きな抱擁力がなければ出来ない業であります。
悩み多き世にあって、柔軟な心を必要とする時には、この歌を思い出してください。
岩の根も 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
テレフォン説法第十九回
テレフォン説法第十九回(昭和五十八年七月)
テレフォン説法第十九回をお送りします。
梅雨が終って陽が照り始めると、もう厳しい暑さがやって参ります。じっとしていても汗がしたたり落ちるような時に思い出すのがこの言葉です。
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭滅却すれば火おのずから涼し
武田信玄は快川和尚を心の師として、塩山にある恵林寺(えりんじ)に迎えて師事して居りました。武田家を亡ぼした織田信長は、この快川和尚の徳を慕って、礼を尽くして迎えましたが、和尚は頑として応じませんでした。
自尊心を傷つけられた信長は心中穏やかでありません。その時、仇敵である佐々木義弼(よしすけ)が恵林寺にかくまわれたことが解り、信長の怒りはついに爆発しました。命を受けた一軍の兵は恵林寺を囲み、一山の僧を山門の楼上へ追い上げて、下へ薪を積んで火を放ちました。山門は炎と黒煙につつまれて燃え始めました。快川は粛然として楼上に端座する僧たちに向って申しました。「おのおの方、いよいよ最期である。各自『末期の偈(ケツ)』を述べよ」末期の偈というのは、人生の終わり、死に臨んでその心境を漢詩に托して述べることです。弟子達が一わたり述べ終わると、最期に快川和尚が末期の偈を述べました。
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭滅却すれば火おのずから涼し
この偈を述べ終わったとき、紅蓮の炎は快川和尚の墨染の袖をこがして居りました。かくして一山の僧は悉く(ことごとく)信長の業火によって楼門と共に焼け落ちていきました。
安禅は必ずしも山水を須いず
安らかな座禅をするには必ずしも山紫水明の静かな環境を必要としない。心頭滅却し無心無我の境地に到れば、火おのずから涼し。世間では「火もまた涼し」と申しますが、正しくは「火おのずから涼し」であります。
果たして焼き殺されるとき、火を涼しいと感じたか否かは別として、私どもが自分の好きな事に無我夢中に打ち込んでいるとき、案外熱さ寒さをそれほどに感じないのは、誰しも経験するところです。
寒時寒殺、熱時熱殺という禅語があります。弟子が洞山和尚に尋ねました。「暑さ寒さがやってきた時、それをどう回避したらよいでしょうか」洞山は言った「どうして暑さ寒さのない処へ行かないのだ」「それでは暑さ寒さのない処とはどんな処ですか」洞山いわく「暑い時はお前自身、徹底して暑いになりきれ、寒い時はお前自身、徹底して寒いになり切ることだ」まさに寒時寒殺、熱時熱殺であります。
暑いといっては涼しい処へ逃げ出し、寒いといっては温暖の地へ逃げ出す。それが果たして人間を磨くことになるでしょうか。
暑い時は暑いがよろしく候。寒い時は寒いがよろしく候。寒時寒殺、熱時熱殺で環境を克服してゆく意欲こそ尊いと思います。
安禅は必ずしも山水を須(もち)いず
心頭滅却すれば火おのずから涼し
今日は快川和尚の「末期の偈」をご紹介申し上げました
テレフォン説法第十八回
テレフォン説法第十八回(昭和五十八年六月)
真楽寺のテレフォン説法第十八回をお送りします。
今日は聖徳太子十七か条憲法の第七条。
「世に生まれながら知るもの少し。剋く(よく)念いて(おもいて)聖(ひじり)となる」
こうかかれています。
この世の中には生れながらの師匠もなければ、生まれながらの聖人も偉人もありません。よく考え勉強してこそ立派な人物になることができる-と言っています。
「ローマは一日にして成らず」兎角われわれの目は結果だけを見て論じますが、そこに至るまでには永くきびしい歴史があったわけです。
文化勲章を受けたような立派な人物を見ると、余りにも偉大なその業績に圧倒されて、自分には到底及びもつかないような距離を感じてしまいます。聖徳太子の言葉はこの点をついています。
釈迦にしろ、孔子にしろ、エジソンのような天才だって、生れ落ちたときは全くわれわれと同じ赤ん坊であった筈です。
みんな一歩一歩、一日一日と努力を積み重ねてきた人物です。驚くことも、たまげることもありません。
さりとて「千里の道も一歩から」始まります。一足飛びに知者学者にはなれません。しかし、誰にでもなれる「可能性」をもって生れてきているお互いではないでしょうか。聖徳太子の言葉は、われわれ凡夫への励ましの言葉であります。
サリドマイド禍のため両腕を失った吉森こずえさんは、両親をはじめ周囲の人々の愛情と善意につつまれて成長してゆきます。折角つくって貰った義手も、体の成長に合わなくなってからは、足だけをたよりの生活が始まります。同じサリドマイド児のイギリスのマンディちゃんとの文通が始まり、足で描いた絵を彼女に送ります。中学生になると、教室では一番うしろの席に座り、机は用務員のおじさんが作ってくれた特別製。足で字が書けるような低い箱を使います。
やがて、高校へ進学。他の生徒と全くハンディを感じさせないばかりか、足の指でタイプライターを打ち、盲人のための点字と意欲的に取り組んでゆきます。
そして愛媛県の短大へ合格。両親の元を離れます。今まで母親に頼っていた洗濯や料理も自分でするようになりました。永年の夢であったヨーロッパ旅行の念願が叶い、イギリスで同じサリドマイド障害を持つマンディさんと面会。彼女の胸にかけられていた婚約指輪を見て驚きます。更にマンディさんが足だけで運転する自動車に乗せてもらって二度ビックリ。そこにはあらゆる可能性への挑戦があったのです。
昨年、日本だけでも足で運転できる車が開発されて、こずえさんは第一号の免許証を取りました。
その直前、教習の特訓中に彼女はこう言いました。「免許証がぜひ欲しいのです。私たちは雨が降っても傘がさせませんから」何とこの世の中に雨が降っても傘がさせない人がいたのです。「体に不自由があっても、心の障害者にはなりたくありません」と語る彼女の明るさは一体どこからくるのか。
一方、世の中に溢れる欲求不満。命への畏敬の念を忘れた現代人に、懸命に生きるこずえさんの姿は、人間の命の尊厳を全身で語りかけています。ひるがえって、五体満足という障害をかかえた自身を問う必要がありそうです。
テレフォン説法第十七回
テレフォン説法第十七号(昭和五十八年五月)
真楽寺のテレフォン説法第十七回をお送りします。
私の中学時代からの親友にS君が居ります。彼は現在の不況下にも拘らず、素晴らしいアイディアで会社を経営し、立派な成績をあげて活躍しています。彼の事業所へ行くと壁に掲げてあるのが、「三つの貯蓄」というスローガンです。
第一が「信用の貯蓄」 第二が「健康の貯蓄」 第三が「お金の貯蓄」です。
S君が言うには、世間ではお金儲けに汲々としている人がいるが、僕は信用を得るために最大の努力を傾けている。信用があって健康で働けば、金は自然に入ってくる。どんなに働いても、世間の人が信用してくれなければ成果は上がらない。その意味で人間関係ほど大切なものはないし、その信用を貯める事が第一である。
この目に見えない信用こそ、総てを生み出す基であって、又これほど頼りになるものはない。然も信用は一度失ったら回復は大変むずかしいもので、常に緊張していなければ崩れてしまう貯蓄である―これがS君の信念です。
終戦の翌年、中国からリュック一つを背負って復員した私は、沼津駅に着いて唖然としました。沼津の街は一望千里の焼け野が原で、駅のホームから千本松原が何の遮るものもなく見えます。私の寺も勿論焼き払われて、僅かに礎石が残っているだけでした。
当時の私は天涯孤独というか、「親も無く妻も無く子なく版木なし、金もなけれど死にたくもなし」の六無齋そのままの姿でした。
その何もない処にただ一つ残されていたのは、真楽寺住職という無形のものでありました。形がないために火にも焼かれず、水にも溺れなかったのです。クモの糸のように、これにしがみついて生き延びることが出来ました。「形あるもの必ず滅す」これは仏教の鉄則です。形のないものの方が、却って実在に近いのかも知れません。
第二の「健康の貯蓄」 これは中年以後になると身にしみて感じます。仕事のためには無理を承知でハードスケジュールをこなさなくてはならない時もありましょう。健康は人生の土台です。人間の幸、不幸も健康に左右される場合が多いようです。
例え病気をしても、体力の蓄えがあれば比較的軽くて済むでしょう。生命に直接関わるものだけに、この「健康の貯蓄」は平生から心がけなくては出来ません。金で買うことの出来ないのが健康です。そのためには、食べ物・摂生・運動・精神衛生など、様々な要素のバランスが必要になってきます。
健康は自分自身でつくるもの、筋肉を強くするには、筋肉を使う以外に方法はありません。いくらそれに関する本を読んでも、講演を聴いても役には立たないでしょう。どんな優秀な人でも若死しては事が成就しません。永生きも成功の一つだと思います。
三番目の「お金の貯蓄」これは今さら申すまでもありません。ただお金はあくまで行為の結果であって、前の二つ、信用と健康に基く努力を忘れた人の所へは、お金は中々集まってくれそうもありません。
人生の大をなした人で、金だけを目的にした人は少ないようです。
銀座を歩いていれば一億円ひろうことも、たまにはあるかも知れませんが、信用と健康は道ばたに落ちているものではありません。
テレフォン説法第十六回
テレフォン説法第十六号(昭和五十八年四月号)
真楽寺のテレフォン説法第十六回をお送りします。
親鸞聖人は「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いをもすべし」と申されましたが、人間は縁次第で、東にも西にも流されてゆくものです。悪縁にあえば悪を行じ、善縁にあえば善を行ずるだけで、これという自主性はありません。
時代を論じ、社会を批判して、確信をもってお互いに善だ悪だと主張し合っていますがそれも時代の流れに流されているだけに過ぎません。
「がんばったまま、流るるかわず哉」いずれにしても私達はその時代の流れを、一歩も出ることの出来ない存在のようです。
京都南禅寺の僧堂に掲げてあった言葉が忘れられません。
花はだまって咲き だまって散ってゆく
そして再び枝に戻らない
けれど、その時、その処に、この世のすべてを託している
永遠に滅びぬ生命の喜び、悔いなくそこに輝いている
私共はいつも「俺はここに在り」と主張して止みません。去るものは日々にうとしで、年老いればいつの間にか、人から忘れられてしまうことはあたり前であるのに、離れてゆくものを、あくまで追いかけて、俺はここに居るよと呼び返したいのです。
谷間に咲く花は、一度も人の目につかずに散ってゆくことがあっても、それが「つまらない」とは決して言いません。だまって精一杯に、天地に咲き誇っています。そして散れば再び枝に戻ろうとはしません。
何者も求めず、無心に咲き、無心に散ってゆく、それが天地と共に生きている姿であります。
親鸞聖人は「つくべき縁あればつき、離るべき縁あれば離るることのあるものよ」と、淡々と言われました。離れゆく人を見ないで縁の流れだけをじっと見ておられました。信仰に徹した人の心境と言うべきでありましょう。
昭和二十年の八月、太平洋戦争は日本の敗北によって終わりました。その後、近衛文麿公は大磯の別荘から、荻窪の本邸へ戻りました。そのとき長年世話になった大磯の駅長に、一枚の色紙を残してゆきました。
それから一ヶ月の後、占領軍司令部は近衛公の逮捕に向ったのですが、その一瞬前に近衛さんは毒を仰いで、自らの命を断っておりました。
駅長に与えた色紙にはこう書いてありました。
駅長驚く勿れ 時に盛衰あり
一栄一落 これ春秋
既にこの色紙を書いた時、近衛公は死を覚悟していたわけです。
たとえ生涯かけた自分の仕事でも、時が来れば何の未練も止めずに棄て去ってゆく。放棄する。この大放棄こそが大人と言われる者の心でありましょう。
昨年どんなに美しく咲いた花でも、尚も今年枝にあれば、その醜さに耐えぬでありましょう。花の美しさを願うならば、咲き終わった花は次の世代にその席をゆずるべきであります。人間はこの自然の教えに、もう一度謙虚に耳を傾ける必要がありそうです。
テレフォン説法第十五回
テレフォン説法第十五回(昭和五十八年三月)
真楽寺のテレフォン説法第十五回をお送りします。今日は法句経の一節。
勝つ者 怨を招かん 敗れし者 苦しみて臥す。
されど勝敗の二つを捨てて 心しずかなる人は 起居(おきふし)ともに幸せなり
NHKの大河ドラマ「徳川家康」が始まりました。家康の言葉で一番よく知られているのが次の名言です。
「人の一生は重荷を負って、遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば、困窮したる時を思うべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害(わざわい)その身に至る。己を責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
これは家康七十五年の生涯の決算書のようなものです。更にこの遺訓の終りには和歌がついています。
人はただ身のほどを知れ草の葉の
露も重きは落つるものかな
ここまでくると余りにもよく出来すぎていて後世だれかが作ったものではないか―。という感じがしないでもありませんが、何にしても家康にふさわしい格言であることは確かです。
今回のNHK大河ドラマの渋谷プロデューサーはこう言っています。
「日本史の上で家康ほど誤解されている人も少ない。意外と思うかもしれないが、家康には強い平和への志向があった。戦国の論理では、統一がなされなければ平和は訪れないのだから、戦争は天下統一のための生みの苦しみだという視点がある。しかし家康はいたずらに戦いをして天下を求めていたのではない」と渋谷さんは言っています。
勿論、戦国の武将として天下を求めなかった訳ではないでしょうが、むしろ天下が向こうから転がり込んでくるような方策をとった処に、読みの深さと忍耐があったのかも知れません。
先の遺訓の中に「勝つことばかり知りて、負けることを知らざれば、害その身に至る」という言葉があります。これは彼が若かりし頃、人質となって長い間苦労したことが大きく影響しているのでしょう。狸オヤジといわれるほどの知恵者ですから、同じ勝つにも大義名分を立て、相手に戦の因を作らせるように仕組んだこともあったようです。
法句経では「勝つ者 怨を招かん 敗れし者 苦しみて臥す」と表現しています。まことに実感のこもった言葉です。それは釈迦が敗戦国の国民としての悲哀を味わっているからです。
釈迦は北印度の小国、マガダ国の王子として生れました。隣の強大なコーサラ国によって釈迦族の国は滅ぼされてしまいます。コーサラ国が勝利のうま酒に酔っていたとき「負けたる者 苦しみて臥す」敗けた者は悶々として夜もねむれぬ苦しみを味わうと共に、勝利者への怨みの声が流れていたことを知っています。「勝つことばかり知りて、敗けることを知らざれば、害その身に至る」という言葉は彼が苦労人であった事を裏付けています。
更に家康は自分の死が近づくと、江戸にいる将軍秀忠を駿府城に呼んで、最後の訓戒を与えました。
「我が命、旦夕に迫るといえども、将軍斯くおわしませば天下のこと心安し。されども将軍の政道その理にかなわず、億兆の民、艱難(かんなん)することもあらんには、誰にてもその任に変わるべし。天下は一人の天下に非ず、天下は天下の天下なり。たとえ他人、天下の政務をとりたりとも、四海安穏にして万人その仁恵を蒙らば、もとより家康が本意にして、いささかも怨に思うことなし」
ここに示された「天下は一人の天下に非ず。天下は天下の天下なり」(六韜(リクトウ))の言葉は、アメリカ大統領リンカーンの言った「人民の人民による人民の為の人民の政治」を思い出させますが、リンカーンに先立つこと二百五十年、駿府城に於いて家康がこの名言をのこしている事には驚かざるを得ません。
テレフォン説法第十四回
テレフォン説法第十四回(昭和五十八年二月号)
真楽寺のテレフォン説法第十四回をお送りします。
「自らを灯(ともしび)とし、法を灯とせよ」
釈迦が八十年の生涯を閉じたのは、インドのクンナガラという所でした。二本のサラの木の下に横たわり、愈愈命且夕(めいたんせき)に迫って参りました。多くの弟子達はその周囲をとりまいて、嘆き悲しみました。
その中でもアナンという弟子が、釈尊危篤ということで大声をあげて泣き悲しみました。その泣き声が釈尊の耳に入りまして、「誰が泣いているのか」と呼び寄せました。
「アナンよ、お前は何故泣くのか」
「釈尊よ、私達の眼目、私たちの柱と頼んだあなたが亡くなられた後、われわれは一体どうすればいいのですか」
釈迦は静かに答えました。
「歎いてはいけない。初めあれば必ず終わりのあることを、私はお前に何度くり返しただろう。お前はまことにおまえ自身の寄辺ではないか。お前はお前の灯火の役目をつとめているではないか。お前自身の外にどこに寄辺をさがすのか。自らを灯とし、法(おしえ)を灯としていきなさい」こう釈迦は答えています。
法句経には次のように記されています。
おのれこそ おのれのよるべ
おのれを措きて 誰によるべぞ
よくととのえし おのれにこそ
まこと得がたき よるべをぞ獲ん
私は寺を継いで三十余年、職掌柄さまざまないたましい場面に出会ってまいりました。幼くして親にわかれた子供のかなしみは、身につまされて思います。然し若い者にはまだ将来への希望が残されています。柱とたのんだ夫に死なれた若い未亡人を慰める言葉を知りません。又いたましいのは頼りにし切っていた我が子に先立たれた親の気持ちを想うとき、何といって慰めていいか言葉に窮します。世間では「さかさ」を見るほどつらい事はないと申します。
人間はみんな意識するしないに拘らず「寄る辺」を求めているのです。いや、万一のときは財産があるから心配いらない―と言う人がいます。しかし財産というものは見かけによらず短命なものです。三代四代と全盛が続く家などは、先ずありません。財産ほど移り気で短命なものはありません。
親も子も財産も所詮あてにならないとすれば、最後に残るものは自分しかありません。法句経は「よくととのえし己にこそ、まこと得がたき寄辺をぞえん」と申しています。
「よく整えしおのれ」でなくては、最後の「とりで」にはならないと言うことです。しかし、己をととのえる―ということは口で言うほど生やさしい仕事ではありません、人を叱ることは随分むずかしいことですが、自分の子を叱るのはモット難しい。妻を叱ることは更に難しい。しかしまだまだ不可能ではない。自分を叱ることはおそらくは不可能かも知れません。
他人の立場、他人の痛みの解る人。自己の信ずる処を行って、然もおのずから自然の法を超えずというような人間、自分を利する行為が、そのまま他人を利するという―そういった自分にまで高めていくには、大きな努力を必要とします。自己の信ずる処に「露堂々」として進み得る人間を創ることが、今ほど大切な時はありません。
その意味では、現代のマスプロ教育は個人を造ることを忘れています。真の一人をつくる教育が忘れられていました。
宗教を無視した教育は、ただ利口な悪魔を作るだけであります。
今こそ釈迦最後の言葉「二灯のおしえ」をもう一度噛み締める必要がありそうです。
自らを灯とし 法を灯とせよ
テレフォン説法第十三回
テレフォン説法 第十三号(昭和五十八年一月)
新年おめでとうございます。
テレフォン説法第十三回をお送りします。
新たなる年に 新たなる心もて
新たなる願いたて 新たなる道をいく
汝 念ぜよ 念ずれば花ひらく
十二月は過ぎ去った一年を反省する月でありました。その反省あってこそ、新年の目盛りを修正することが出来ます。一月のことを正月というのは「ただす月」という意味です。
ここで一つお勧めしたいのは「決心禄」とでもいうべき一冊の帳面に、各人が新年の決意を書き留めることです。三日坊主にならない為にも役立つし、毎年繰り返していけば、必ず何らかの結果が出ると思います。
最近は人間が贅沢になって、正月の持つきびしい精神生活がボヤけて来たようです。
「一年の計は元旦にあり」で新鮮な気分と決意をもって新年を迎えたいものです。
ケネディ大統領の言葉に「安易な人生を願うよりも、強い人になる事を。自分にふさわしい仕事を求めるよりも、与えられた仕事を果たす力を願うこと」という名言があります。われわれもよく「一所懸命」という言葉を使いますが、文字通り一つ所に命をかける。人間命がけになれば、驚くような力の出るものです。道元禅師は「切に思うことは必ず遂ぐるなり」と申しました。意志のあるところ必ず方法があるものです。
三井金属の尾本信平会長が申しました。
「鉱山は元来事故の多いところです。何とか労働災害を絶滅したい。そこで徹底的に安全設備をしたが、災害はさっぱり減りません。設備や金の面だけでは駄目で、大事なのは心の問題だ。そこで毎年「安全月間」には幹部が全国の現場へ行って安全点検をした。その結果、事故は百五十件に半減しました。効果があったわけです。しかし百件台からどうしても減りません。人間の方策として、できる事は全てやった。更に何かやるべきことはないのか?それは祈る事だ。人事を尽くして更に祈ることが大切だ。そこで昔から関係の深い奈良の東大寺へ、もう何十年に亘って会社と労組の幹部がお参りをしています。
事故は今では五十件くらいに減りました。会社の経営はもちろん合理主義や科学的にやらなければならないが、それが全部だと思ってはいけないぞ―ということを教えられたような気がします」こう尾本会長は語りました。
新たなる年に 新たなる心もて
新たなる願いたて 新たなる道をいく
汝 念ぜよ 念ずれば花ひらく
祈り念ずるということは、人間と目に見えない世界をつなぐ一本の糸であるのかもしれません。
すべき事をする時間と
したい事をする時間と
この多少が人間の向上堕落を支配するといいます。
今年もどうか充実した一年をお過ごしください。
テレフォン説法第十二回
テレフォン説法第十二回(昭和57年十二月)
テレフォン説法第十二回をお送りします。今日は西鶴の言葉
大晦日 定めなき世の 定哉(さだめかな)
今年もはや師走になりました。一年がアッという間に過ぎ去ってしまいます。あなたはこの一年間にどれだけの事をされましたか。どれほど自分に成長があったろうか。顧みてまた今年も悔い多き一年ではなかったろうか。或は実り多き年であったでしょうか。良くても悪くても、この一年は二度と再び戻ることはありません。しかも、すぐ新しい一年が来ようとしています。
新年を迎えるに当って、この一年の功罪を反省し評価することが大切だと思います。それは、この一年を三十回繰り返すと人間の一代が終わるからです。少なくとも最も活躍できる期間は大体三十年です。そうして見れば一日たりとも無駄に過ごすわけには参りません。道元禅師は「光陰むなしく度る(わたる)勿れ、時光徒らに過すこと勿れ」と申しました。
夕飯のあとコタツにあたり乍ら、面白いテレビドラマをつい一時間、二時間見てしまいます。その一時間、二時間は、私共の人生で永久に帰ってこない時間です。
論語にこんな言葉があったように思います。
「士 会わざること三日ならば 将に刮目して相待つべし」 立派な人というものは、三日目に会うと目を見張るほど進歩の跡が見受けられる―と言っております。いつまでも「呉下の阿蒙」であってはならないという事でしょう。もちろん人柄というものは、猫の目のように変わるものではありませんが、さりとて十年一日の如く何の変哲もない昔話に花を咲かせているようでは困りもの。先月あった時とはちがった新鮮味を持ちたいものです。
それには絶えざる工夫と勉強が必要で、日に新たなる努力と実践がなくては、この激しい時代を乗り越えてゆくことは出来ません。
人生に於ては、いつ何が起こるか一寸先は誰にも分かりませんが、ただ一つ確実に言えることは、地球上四十億の人間は一年一年歳をとって、人生の終着駅へ向って前進を続けていることだけは間違いありません。
この頃のように国民の一割が六十五歳以上の人々で占められて来ると、今度はこの高齢化社会への対応が問題となってきます。「不老長寿」の妙薬を探し求めた始皇帝が日本の現状を見たら、どんな顔をするでしょうか。
ともあれ来年は物と共に「心の豊かさ」を見出す年にしたいものです。我々はいま豊かな経済と物の洪水の中へドップリ漬かっております。それでいながら人間はなぜ苦しまなければならないのか。科学や医学の進歩のおかげで、肉体の痛み、苦しみは、薬によって和らげられるようになりました。しかし心の痛み・苦しみ・悩み・焦燥・嫉妬、それをいやす特効薬はありません。
仏教では、人間の苦しみの因である煩悩が百八あると申します。それにちなんで除夜の鐘は百八回つくことになっています。紅白歌合戦が終わる頃、除夜の鐘がお耳に響くことでありましょう。来年は心の豊かなよい年をお迎えください。 どうもありがとうございました。
テレフォン説法第十一回
テレフォン説法第十一回(昭和五十七年十一月)
テレフォン説法第十一回目をお送りします。今日は幕末の儒者、佐藤一斎の言葉です。
少く(わかく)して学べば 壮にして為すあり
壮にして学べば 老いて衰えず
老いて学べば 死して朽ちず
誠に感銘深い言葉であります。
「少くして学べば壮にして為すあり」 若いときに一生懸命に勉強して、外国語の一つでもマスターして置けば、社会へ出てから活躍の舞台が広くなって、何事をするにも有利です。ところが結婚をして子供でも生れると、野望に燃えていた若者も、マイホーム主義に安住して、平凡なサラリーマンになってしまうきらいがあります。
そこでもうひとフンバリして、「壮にして学べば老いて衰えず」人間老いて衰えるのは当然のこと。ところが「壮年にして学べば、老いても衰えない」と一斎は申します。
ベテランは失業せずと言いますが、その道の専門家になれば、たとえ、定年でやめても世間はその人を打ち捨てては置きません。そうした、社会のために無くてはならぬ人に成る事が肝要です。孔子は「学ぶや禄のその中にあり」と申しました。
人間国宝、無形文化財といわれる人には、高齢者が多いのですが、そういう人々は老いて衰えるどころか、年と共に技術や腕に益々磨きがかかって、円熟して参ります。
こうした人の作品は作者の死後も光り輝いて生き続け、多くの人々に感銘を与えていきます。まさに「老いて学べば、死して朽ちず」であります。
ましてや我々の人生は、自己表現の努力の場であります。学んでも学んでも、もうこれでいいと言う事はありません。「われ以外皆わが師なり」とは一世の文豪、吉川英治の言葉でありました。
限りある人生に於いて、学ぶべきことは余りにも多く、然も(しかも)時間は刻々に過ぎ去っていきます。今日という日は二度ありません。一切は移り変る。それが諸行無常の姿です。
時間と個人に当てはめれば、各自の生命のことです。人間の命は時計の秒針のように、刻々に動き流れて止ることがありません。まさに「光陰惜しむべし 時、人を待たず。」
やり直しのきかないこの人生、又あまり永くは生きていられないお互いの生命であります。寸秒を惜しんで充実した人生を送りたいものです。
昨今生涯教育が叫ばれている時、もういちど佐藤一斎の言葉を思い出してください。
少く(わかく)して学べば 壮にして為すあり
壮にして学べば 老いて衰えず
老いて学べば 死して朽ちず
どうもありがとうございました。
テレフォン説法第十回
テレフォン説法第十号
(昭和57年十月号)
テレフォン説法第十回をお送りします。今日は法句経(ほっくきょう)の一節です。
われに子らあり 財ありと
愚かなる者は こころ悩む
されど われは既に我のものに非ず
何ぞ子らあらん 財あらん
われに子らあり、私には子供達がある。「もう大丈夫だ」という気持です。子供は小さい赤ん坊の時は、父親にとっては閉口ですが、だんだん大きくなるにつれて、何となく頼りになってきます。「この子供が立派に成長すれば、どんな事があっても、もう大丈夫」そんな気持になってきます。ところがやがて結婚でもすると、嫁が息子を占領する。会社で勤めれば、わが子は会社の社員です。会社が忙しくなると幾日も顔を見ないことすらあります。段々と子供は親から離れていく。親方はいつまでも子離れをしない。そこに何やら親の心に満たされないものが残ります。まして別居でもすれば、親子とはもう名ばかりのものになります。
第二句の「われに財あり」おれには一生安楽に過ごせるだけの財産がある。子供が離れていこうと、世間が俺を無視しようと、所詮は金の世の中、これだけの財産があれば大丈夫だ。風吹かば吹け、雨ふらば降れ。
ところが財産は見かけによらず短命なものです。一軒の家で全盛期が二代三代と続くような家は稀であります。昔の悠長な時代でさえ、三代目には何とやらと申しました。ましてや昨今のようにテンポの早い時代には一生のうちに財産の変動は幾度もあります。財産は案外もろいものです。
次に「されど、われは既にわれのものに非ず」と釈迦は言っています。
すでに財産も子供もあてにならない。とすれば一体何が頼りになるのか。「この自分の体だ」この頑健な体さえあれば、どんな荒仕事でもできる。矢でも鉄砲でももってこい!と若いときは思います。
ところが歯が一本痛んでも仕事は手に付きません。四十を過ぎれば否応なく老眼が始まります。白髪が増えてもどうにもなりません。六十を過ぎれば物忘れが始まります。自分の体でさえも自分の思うようにはなりません。「何ぞ子らあらん、財あらん」であります。
では仏教では自分の子をどう考えるのでしょうか。われの子に非ずして、われらの子であります。子を私有してはいけない。といって共有でもない。子を公に持つこと。即ち、公有せよと教えます。子を頼りにしたいのは人情です。しかし同時に世間のために役立つ存在でもあります。私すべきものではないようです。
財産についても、それをしまって置く「最上の堅固な蔵は、天下と共に一切の財物を公用すること」だと釈迦は申しました。
この短い法句経の一句の中に、正しい子供と財産の持ち方、生かし方が示されているようです。
テレフォン説法第九回目
テレフォン説法第九号
(昭和五十七年九月)
テレフォン説法第九回をお送りします。
白い色には白い光、赤い色には赤い光
その持ち味を生かせ
「白色白光(ビャクシキビャッコウ)赤色赤光(シャクシキシャッコウ)」とはお経にある言葉です。明治の先覚、福沢諭吉翁は「無理をしてまでも学校を出るよりも、むしろ実務を身につけよ」と言っています。事実、学歴なしに実社会で名をなした人物も少なくありません。諭吉の言葉は、昨今の学校へ向って手を合わせるような「学歴信仰社会」への痛烈な警告ともいえましょう。学歴のご利益を求める狂信的な態度は、もうこのへんで反省すべき時です。
そうは言っても、現代は社会機構がガッチリと出来上がってしまって、学歴が無いと中々高い地位に就きにくいのも事実です。各界の管理職にある人々は、就職希望者の学歴もさること乍ら、「努力する意欲」の有無を先ず徴すべきでありましょう。学歴があっても「やる気」が無かったら、学歴は「猫に小判」であり、時として「気違いに刃物」ともなりかねません。
歌人の吉井勇は大そう酒を愛した人だけに、燗のつけ具合が人一倍やかましかったそうです。生前に吉井さんが目をかけていた料亭のお燗番に、燗のつけ方の秘訣を聞いたところ「一級酒は一級酒なりに、二級酒は二級酒なりの味を出す工夫をするのが燗番の腕だ。二級酒に一級酒まがいの味を出させようとするのは邪道だ」と答えています。
勿論人間は酒と違うから、銘柄で人間の資格を決めることはできません。「人は生れてはなく、行為によって価値が決まる」と釈迦は申しております。同時に「白色白光、赤色赤光」で、すべての人々がそれぞれに異なった光を発してこそ、この世の中が変化に富んだ妙味のあるものになって参ります。
釈迦の弟子で最も知能指数の低いチューラパンタカは、兄さんから「お前の才能ではとても無理だから、修行を諦めて家へ帰りなさい」と申し渡され、ションボリして寺の門に佇んでいました。それを見た釈迦は「チューラパンタカよ、出来ることなら“塵を払わん、垢を除かん”という一句を覚えなさい」といって一本の箒を渡して、これで毎日寺の庭を掃除するように教えました。
毎日毎日彼は「塵を払わん、垢を除かん」と一生懸命に唱えながら境内の掃除をして、三年後年が過ぎましたが、落ち葉は毎日毎日散って尽きることがありません。
ある日、彼はこつ然と心が開けました。そうだ。「塵を払い垢を除く」というのは、心の塵を払い、心の垢を除くことだと気づいたのです。そして秀才と言われた兄よりも一足早く悟りを開いて、二千五百年後の今日まで経典にその名を残すことになりました。
秀才とはまた一味ちがった方法で悟りを得たこの教育こそ、今日あらためて検討する必要がありはしないか。教育は写真の撮影と同じく、アングルを変えるとき、その人だけが持つ素晴らしさを発見できることもありましょう。
教育学者の原田実教授はこれを「随人観美(ずいじんかんび)」といっております。「人に随って美を観ずる」この世の親ごさんや教育者、管理職の方々にも、是非この随人観美を心がけていただきたいと思います。
「白色白光、赤色赤光、その持ち味を生かせ」
どうもありがとうございました。
テレフォン説法第八回
テレフォン説法第八回
無財の七施
テレフォン説法第八回をお送りします。
今日は「無財の七施」についてお話いたします。「無財の七施」無財は財産が無いという事です。財産が無くてもできる七つの施し、七施の施はお布施の施という字です。お金を使わなくても、物を使わなくても七つの施しができるという訳です。
① 捨身施(シャシンセ) 身を捨てて行う布施。之は身をもって他人の為に働くという施しです。
② 心慮施(シンリョセ) 心と慮りの布施、心とおもいやりの施し。人の為の心づかいも施しの一つです。
③ 和顔施(ワゲンセ) 和やかな顔で人に接するのも立派な施しです。和は昭和の和、ゲンは顔、ガンではなく仏教ではゲンと読みます。
④ 愛語施(アイゴセ) 愛情のこもった言葉を施す。
⑤ 慈眼施(ジゲンセ) 慈愛に満ちた眼で人を見る。
⑥ 房舎施(ボウシャセ) 房は冷房暖房の房、舎は学校の校舎の舎、房も舎も共に家とか部屋とかいう意味です。にわか雨が降ってきた時、雨宿りの為に、軒先を借してやるのも房舎施であり、いま流行の交換学生のために、一夏わが家の一室を提供することも房舎施でありましょう。さらに拡大すれば、あらゆるものを包容することとも考えられます。
⑦ 床座施(ショウザセ) 床はユカ、座はすわる。座席の座の字です。電車の中でお年寄りに席を譲ってあげること。また自分が一歩さがって、人にゆずることにも通じます。
この七つの布施、①捨身施、②心慮施、③和顔施、④愛語施、⑤慈眼施、⑥房舎施、⑦床座施。この七つはお金のかからない施しですから、これを「無財の七施」と申します。
涅槃経にはわが身を捨てて、仏の道を伝えようとした雪山童子(せっさんどうじ)の話があります。
法を求めてヒマラヤの山の中を歩いていた雪山童子は、崖の下から聞こえる声に耳を傾けました。「諸行は無常なり、これ生滅の法」すべてこの世にあるものは変化し、うつろいゆく。一切のものが生じたり滅したりしていくのがこの世の法則である。童子はそこ言葉に深く感銘しました。崖下を見ると一匹の餓えた鬼がいます。「いまこの世の相を教えてくれたのはお前か?お前の言葉は真理であるが救いがない。きっとそれに続く言葉があるに違いない。是非おしえて願いたい」すると鬼は申しました「俺は腹が減って、これ以上のことは言えないのだ」「そうか、それならば私の体をお前のエサとしてくれてやるから、是非おしえて欲しい」鬼は答えました。「よし、それならば教えてやろう。よく聞け。“生滅し滅し巳りて(おわりて)寂滅(じゃくめつ)を楽(たのしみ)となす”」生滅流転をこの世の実相として肯定し、更にそれを超越した時、初めて心の平安を得ることが出来る―。
童子は後世の人々の為にこの言葉を傍らの岩や木の幹に書きとめました。これこそ自分が永年のあいだ求めていた真理である。朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり。童子は約束に従って崖の上から、鬼めがけてわが身を投じました。その瞬間、鬼は帝釈天の姿に変わって、童子の体を受け止めた―こう涅槃経は伝えています。
まさに捨身施そのものであります。
われわれのうちで、知恵ある者は知恵を持って、知恵なき者は力を持って、力なき者は言葉を持って、言葉無きものはほほえみを持って、ほほえみ無き者は祈りをもって、なおかつ人に施すことが出来るのではないでしょうか。
今日は「無財の七施」をお話しました。
テレフォン説法第七回目
「テレフォン説法第七号」
テレフォン説法第七回をお送りします。
人、見るもよし
見ざるもよし
われは咲くなり
-武者小路さんの言葉です-
世間では、目あき千人、盲目千人、と言いますが、目あきと盲目が同じ数であっては世の中は進歩していきません。目あきの方が幾分か多いに違いありません。私は目あきが千二百人と踏んでいます。それなればこそ良心的な会社の方が繁栄していきます。世間大衆は、ちょっと見ると烏合の衆が多いように見えることもありますが、やはり静かに歴史が批判しています。つまり世間は見ているのです。世間はチャント知っています。
今日は確かにPRの時代です。しかし宣伝したからといって、ただそれだけで商売が繁昌するとは限りません。一番いい宣伝はお客が吹聴してくれることです。一度来た客が二度三度来てくれる、お客がお客を引っ張って来てくれることです。それを孔子は「桃李ものいわざれとも、下おのずから蹊をなす」と言っています。桃や李は決して自己宣伝をしないけれども、実が熟してくるとその樹の下に自然と人が集まってきて小道ができるというのです。実がなるというのは一朝一夕のわざではありません。春夏秋冬をくぐり抜け、暑さにも寒さにも耐えてきた結果であります。人が見ていようといまいと、そんな事には頓着無く黙々と一年間のいとなみを続けてきた結果であります。人が見ていようといまいと、そんな事には頓着無く黙々と一年間のいとなみを続けてきた結果であります。
ゴーイングマイウェイという言葉がありますが、自分には自分の行くべき道があります。もちろん、お互いは社会生活を営んでいるので他人の行き方が目に入り参考にすることもあるし、時にはうらやましく思うこともあります。
しかし結局のところ、自分はついに自分でしかありません、自分の進むべき道は自分ひとりにのみ開かれている。自分の天性、生まれ、環境、職業、こうしたものをよく見つめ、自分がどういう事に得意であるか何が好きかという事を考えてみると、他人のことに気をとらわれず自分ひとりに用意されていたような独自の道を突き進んでいくべきだと思います。そうは言っても、時によっては世間の人々が一向に自分の努力や成績を評価してくれない場合もあります。とかくそんな時は不平も出るし、くさってしまうこともあります。しかし長い目でこの人生を見ていると、結局世間はおろかではありません。世間の目は高いのです。ちゃんと自分の行動を仔細に注意してくれます。その事は裏から言えば、われわれは毎日世間から採点されて勤務評定されている訳です。今日只今を除いて私共の人生はありません。いま与えられているポストをしっかり守り通してこそ全体の歯車が回っているのです。人間には十人十色の天分が与えられています。その天分に添っていまの自分の仕事があり、このポストこそ一生の運命を決すべき一本勝負の場である事を自覚すべきです。
経営学の最高の理念は「利益の社会的還元」だそうですが、人生の意味は「他人に与えること」つまり世間にお返しする事でありましょう。お互いの職業の意味は、その職域を通じて世間から受けている借金のお返しをする事です。お互い人間は「借り」の方が多くて、十分にお返しできていないのが実際ではないでしょうか。仏教ではこれを「衆生恩」と申します。社会大衆のご恩という事です。従って「職業とはその恩に報いる報恩の一つの形式」であると思います。そう受取ってこそ企業人にはてしない崇高な企業意欲がふるい興ってくるのではありますまいか。世間様から受けている「借り」を少しでもお返ししようとする高邁な精神に立って経営してこそ初めて「世間が知ってくれる」ような営業ぶりが出てくると思います。要は、使命感を持って己が任務に全力投球する事こそ、必要だと思います。
人、見るもよし
見ざるもよし
われは咲くなり
どうもありがとうございました。
テレフォン説法第六回
テレフォン説法第六回目
テレフォン説法第六回目をお送りします。
「一善は次の一善を容易にし
一悪は一悪を容易にする」
本願寺八代目の蓮如上人はこういわれています。
「一度のちがいが一期のちがいなり、一度のたしなみが一期のたしなみなり」
一度まちがえたり足を踏み外すと、それが一生のしくじりになることがある。その反対に一度つつしみをすれば、それがそのまま一生のたしなみになる、とこう申しています。
私共のかりそめの一つの行動はそのままでは終わりません。必ずや一度やった事は二度三度と続いてゆきます。くせがつくというか、そういう習性になってゆきます。かくして一生を決定し方向づけて参ります。仮に一本のタバコを吸うとします。なかなか一本だけでは終わりません。必ず次の一本をさそい出します。
だからわずか一本が一生のタバコのみになりかねません。一度のちがい、たった一遍の盗みでも、うまくいって味を占めると本物の泥棒になる事もあります。それと反対に、一度良いことをする、やりたいことをがまんすると、それが一生の戒律を守るスタートになります。
千利休の「酒盃の銘」をご存知の方も多いと思います。
「酒一盃人酒を呑み、酒二盃酒酒を呑み、酒三盃酒人を呑む」
とあります。酒が人を呑むようになったらおしまいです。酒好きの人は往々にして酒でとんでもない失敗をやりかねません。さりとて酒そのものに罪がある訳ではなく、酒を百薬の長にするか、気狂い水にするかは、一つにかかってそれを飲む人間の側にあります。そうは言っても「適度」ということは、口で言うのは簡単ですが実際には仲々難しい事で、
「わかっちゃいるけど止められない」―という言葉が一時はやったことがあります。
法句経にこういう文章があります。
「いくさに出ること千たび、千人の敵に勝つよりひとり己に克つ者、彼こそ最上の勇者なり」
仏教では昔から苛酷と思われるようなきびしい修行を課している処もあります。例えば天台宗では千日回峰行が現在でも行われています。千日間に亘って比叡山の峰々谷谷を昼夜の別なく、一日に三十~八十五キロも小走りに踏破するという荒行です。然も一日休めばすべてがゼロになるという、人間業とは考えられないような生命の極限にいどむ烈しい修行があります。戦後三十五年間に、八人の修行僧がこの千日回峰行を成し遂げて大阿闍梨(だいあじゃり)という位に就きました。こうした烈しい修行も命がけになれば何人かは成し遂げる人もある訳ですが、修行者が一番苦しむのは、自分の肉体的欲望に打ちかつ事であると申します。本能との戦いに敗れて、あたら人生を台無しにした人が世の中にはどれだけいる事でしょう。戦場で千人の敵に勝つより、己に克つ者こそ最上の勇者である、と釈迦は申しております。
自ら心中の賊をうち倒し自分をコントロールしてこそ、人生の勝利者への第一歩が開けて参ります。そのためには今日一日が、今日只今が問題であって、明日からタバコをやめよう―という人には永久に禁煙はできないでありましょう。善のつみ重ねと悪のつみ重ねが人生の明闇を分ける事になります。
一善は次の一善を容易にし
一悪は一悪を容易にする
もう一度この言葉をかみ締めてください。
どうもありがとうございました
テレフォン説法第五回目
テレフォン説法第五回目
(昭和五十七年五月)
テレフォン説法第五回目をお送りします。
今日は、日蓮上人が文永十一年に書かれた手紙の一説をご紹介します。
「一人の心なれども二つの心あれば、其心たがいて成ずる無し。百人千人なれども一つ心なれば、必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども異体異心なれば、諸事成ぜんことかたし。日蓮が一類は異体同心なれば、人々少なく候へ共大事を成じて云々。」
と続いています。日蓮の面目躍如たる文面でありますが、これは古くから「異体同心事」という名前で呼ばれている書簡です。
「一人の心なれども二つの心あれば、其心たがいて成ずる事なし。」
事を成すに当って、私たちは右せんか左せんか迷うことがあります。結果をよくしたいと思えば思う程、この迷いは深くなります。あなたにそういう経験はありませんか。ぎりぎりまで迷って止む無く一方を選びつつ、なお他方に心ひかれる―という事もあるものですが、これでは選びとった方向に対しても全力投球ができず、十分な成果は望めません。だからといってヘボ将棋のように軽卒に判断して駒を進めて良いわけはありません。将棋ならばどちらへころんでも大したことはありませんが、人生では取り返しのつかない事になります。昨今のような複雑怪奇な社会状勢で、先を読むことは大変むずかしい訳ですが、さりとて頭の中で考えが二つに分かれていては困ります。
狼とあだ名されていた千代の富士が初場所で優勝しましたが、彼は左肩を七回も脱臼して足踏みをしたことがあります。それ以来彼はダンベルを百回以上、腕立て伏せを二百回毎日毎日繰り返してこの弱点を克服したといいます。勝利の蔭には血のにじむ激しい稽古があったわけです。先ず自分に打ち克つ事によって勝負に勝つ。何事であれ勝利者となるためには、一点に立って激しく回転するコマのような集中力と実行力がなければ、事を成就することはできません。
「百人千人なれども一つ心なれば、必ず事を成す」日蓮はその例として、殷の紂王は七十万騎を率いて戦ったが、異体異心のためいくさに敗れた。周の武王が手勢わづかに八百であったが、異体同心のため勝つことができたと言っております。従業員何千人の大会社でも、心がバラバラな「烏合の衆」では業績は上がりません。人数は少なくとも、少数精鋭の「和合の衆」であってこそ、社運も隆盛に向かってゆくでありましょう。
「日本国の人々は多人なれども異体異心なれば、諸事成ぜんことかたし。日蓮が一類は異体同心なれば人々少なく候へ共、大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚えて候」こう申しております。人間はみな別々の存在である以上、十人十色の心を持つのは当然ですが、大目的達成のためには各人が小さな自我を捨てて、水と魚の関係のように異体同心となる必要性を強調しています。大勢の心を、「一つ」にまとめることが上に立つ者の役目であり、それには月給以上の人生観、信念が必要ではないでしょうか。日蓮上人のこの一文は、現代においても味合うべき文章と思います。ありがとうございました。
次回は第六号(昭和五十七年六月)をお送りします
テレフォン説法第四回
テレフォン説法第四回目
(昭和五十七年四月)
愛語よく回天の力あり
愛語とは愛情のこもった語、愛語はよく回天の力がある、天を回す力がある、天地をひっくり返すような力がある―ということです。
京都の郊外、嵯峨にある天龍寺というお寺があります。臨済宗天竜寺派の本山です。ここに関精拙という管長さんが居られました。この方は大変ひきしい方であったようです。この精拙老師は南蛮から渡来した大きな焼き物の皿を非常に珍重されて、之を床の間に飾って朝夕眺めて楽しんでいました。管長さんの身の周りのお世話をする人を随身といいますが、一人のお小僧さんが随身として毎日部屋の掃除をしたり、洗濯をしたり、食事の世話をしていました。
或る日のこと、この精拙老師が大事にして床の間に飾ってあるお皿の表面に、うっすらとほこりがついているのを見た随身のお小僧さんが、そのほこりを拭こうとしてお皿を縁側に持ちだした時、何かにつまづいてバッタリ倒れました。その瞬間、この立派な飾皿はコッパミジンに砕けてしまいました。さぁ大変。普段でもあのきびしい老師です。何と言って謝ったらいいのか、いや謝っただけではとても済むまい。死んでお詫びをするほかはないだろう―もうお小僧さんは小刻みに震えて居りました。そこへ皿の割れる音を聴いて老師が入ってきました。何を言う必要もありません。一目瞭然、あの見事な南蛮渡来の皿は、無残にも砕け散って居ります。傍に小僧が呆然と立ちすくんでいます。その時、老師の口をついて出た言葉は何であったか
「小僧、怪我はなかったか。」
この一言でありました。それこそ目が飛び出るほど叱られると思っていたのに、老師の第一声は「怪我はなかったか」と小僧の身を案じてくれる言葉だったのです。
このお師匠様の為なら命を捧げてもいい。以来このお小僧さんは、昼も夜も身を粉にしてこの老師に仕えて三十余年、老師のあとを受け継ぎ、今、天竜寺派管長として活躍する関牧翁老師こそ、この時のお小僧さんでありました。
たった一言「小僧怪我はなかったか」の一語が、一人の人間を救い、しかも名僧に仕立て上げたわけであります。
「愛語よく回天の力あり」
昨年の暮、沼津の第一小学校の杉山五郎校長がなくなられて、その告別式が行われました。杉山先生の遺影の前で六人の生徒が、各学年を代表してお別れの言葉を述べました。そのどれもが参列者の胸を打つものばかりでしたが、特に次の言葉は忘れる事ができません。
「夏の暑い日のことでした。校長先生が一人でドブ掃除をしているのをみて、僕はその手伝いをしました。とても臭くて途中でいやになりましたが、我慢して最後までやりました。二、三日すると、校長先生から一枚の葉書が届いて、ドブ掃除をした事を褒めてくださいました。僕はこんなに嬉しかった事はありません。この葉書は僕の宝です。大事な大事な宝です。額へ入れて机の上に飾ってあります。先生どうも有難う・・・」
これが校長先生に対するお別れの言葉でした。
いま、青少年の非行や校内暴力が、大きな社会問題になって、真の教育とは何であるかが問われています。若し子供が可愛いならば、子供の中に潜んでいる素晴らしい力、自分の欲しいものを我慢する力、自分のしたくなく事でもすべき理由のあるときにはする力、これを見透かして育ててやる事だと思います。子供がやがて大きくなって、親の許を離れ、どんな境遇にあっても、その中から真の幸せを感じとっていけるように、いまからしっかりと躾けてやる事が大切だと思います。
「愛語よく回天の力あり」
今日はこの言葉をお伝えいたしました。
有難うございます。
テレフォン説法第三回目
テレフォン説法第三回目(昭和57年三月)
<ひとり往くべし>
テレフォン説法第三回をお送りします。
釈迦は弟子達に申しました。
「汝ら一つ道を二人にて往くこと勿れ
犀の如く一人ゆくべし」
<ひとり往くべし>
これは釈迦が弟子達を伝道のたびに送り出したときの言葉だといわれます。犀という動物は、群れをつくらない動物のようであります。そこで釈迦は早速その犀を例にとって「犀の如くひとり往くべし」といわれました。
この厳しい人生行路に於いて、一人旅は淋しく、また不安なものです。そんな時に、先ず頼りになるのは「道づれ」であり同行者であります。
しかしいつまでも人に頼っていては、独自の人生を切り拓くことは出来ません。淋しいけれど、又つらい事があっても、自分の個性を生かし、独自の天地を開拓してこそ、歴史の残るような大仕事も生まれるし、人間としての生き甲斐も感じることでしょう。
<独創力をもて>
米ジョージア州立大学の教授は「日本の学生はアメリカの学生に比べて、想像力や独創性に欠けている」と言いました。よく世間では「アメリカ人が発明して、日本人がそれで金儲けをする」といわれますが、先の高度成長もこんな傾向が全く無かったとは言い切れません。
明治以来、欧米に追いつき追い越せで、模倣と企業化の点では天才的な日本人です。いまや日本製の自動車やテレビはドル稼ぎの優等生になってしまいました。ただ、問題はこんにちの日本人が繁栄の陰にかくれて、或は学校のテスト制度に災いされて、その個性や独創能力を低下させては大変だという事です。
北国の小学校で、先生が生徒たちに「氷が溶けると何になるか?」と質問しました。九十九%の生徒が「水になる」と答えた中で、ただ一人だけ「氷がとけると春になる」と答えた生徒がいました。こうした発想も大切に育てたいわけですが、○×式の画一教育では、残念ながら×にならざるを得ません。
それと同時に、現代の若者たちがマイホーム主義だけに固まらず、高い目標をかかげて、その達成のために勇気と情熱を傾けて悔いないという気概を養いたいものです。
<一所懸命>
今年の春ごろ「天平の甍」という映画を観ました。井上靖の小説を映画にしたものですが、日本への渡来を請われて、唐の僧鑑真が、ためらう弟子の僧たちを前にして、「これは仏法のためなり。何ぞ身命を惜しまん。諸人ゆかずんばば、われ即ちゆかんのみ」と決意するシーンは時代を超えて私共の胸を打つものがあります。
十二年という永いあいだ苦労して、やっと日本へ辿り着いた時、彼は両眼を失明し盲目となってしまいました。それにしても千二百年前、粗末な船と幼稚な航海術で、生命の危険も顧みずにホンの若い留学僧たちを唐にかりたてた情熱の烈しさ。故国へは二度と帰れぬと覚悟しながら伝法の大儀のために日本へ渡った鑑真和上の志の深さ。それをしみじみと思います。
現在は地球のどこへでも一日で飛べるようになったが、これだけの目的と情熱をもった人間が、果たしてどれだけいるでしょうか。
「汝ら犀の如くひとり往くべし」と解いた釈尊。「諸人行かずば、われ即ちゆかんのみ」と叫んだ鑑真。その精神の高さ、きびしさは、かつて「若者よ大志をいだけ」ボーイズビーアンビシャス!と叫んだクラーク博士の言葉にも通じるものがあると思います。
どうもありがとうございました。
テレフォン説法第二回目
テレフォン説法第二回(昭和五十七年二月号)
テレフォン説法第二回をお送りします。
「この道より われを生かす道なし
この道を歩く」
武者小路実篤の言葉です。
終戦後間もない頃でした。日本全体が生きること、食べることに汲々としていた当時、武者小路先生を沼津へお招きして、講演をして貰いました。そのとき書いていただいたのがこの言葉でした。
「この道より われを生かす道なし この道を歩く」書き終わってから「この道を歩く」ではなく「この道を歩む」が正しいという人もあるんだがね―といわれました。文法的にはおかしいという事を百も承知の上で然も「歩く」と書く処が、武者さんらしいと思いました。
人間には十人十色の生き方があります。百人百様の生きざまがあります。そして夫々の道を三十年、四十年営々と歩いてきて、五十才、六十才になると、もう自分の行きつく処もほぼ先が見えてきます。そうすると、ああ若い人はいい。無限の可能性がある。自分にもかつてああいう時代があった。あの時ももう少し頑張って置けばな―という反省が似た気持ちが湧いてきます。
ナショナルの総帥である松下幸之助が、全財産を投げ打ってもいい、もう一度青年に戻りたい―といった言葉がわかるような気がします。
ジャイアンツの長島もユニホームを脱ぎました。王も現役を退きました。カーターが破れレーガンが当選しました。芸能界のアイドル山口百恵も舞台を去りました。越路吹雪はこの世から去ってゆきました。
華やかなスター達が消えて、夫々の世界で一つの時代が幕を降ろしつつあります。そうしたつるべ落としの変化の中で、われわれがスター達の思い出に浸っているとき、次の世代が足早に訪れようとしています。
かつて日本占領軍の総司令官であったマッカーサー元帥の座右の銘に次の言葉があります。
「すぐれた想像力、たくましい意思、燃える情熱、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春という。年を重ねるだけで人は老いない。理想を失うとき初めて甥が来る」まことに絢爛華麗にしてダイナミックな言葉です。そのマッカーサーが司令官の地位を解任されたとき、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」といって日本を去って行ったといいます。
永遠の青春を願いつつも、労へ意図しての自覚を余儀なくされたところに、枯れの悲劇があったともいえましょう。しかしそれは大なり小なり万人に当てはまることであるのかも知れません。
今月の三日、文化の日には文化勲章受章者や文化功労者が発表されています。それらの人々が高令者であっても年令を感じさせません。年と共に益々円熟して才能や技術に磨きをかけてゆきます。それは若いときからシシとして一つの道へ全生命を打ち込んで、そこに生き甲斐を見出してきた人達であるからです。
「ベテランは失業せず」と申します。その道の専門家になれば、自他ともに老いを感じなくて済むのではないでしょうか。
「この道より われを生かす道なし この道を歩く」
この言葉は一業に打ち込んだときの人間の不退轉(フタイテン)の決意を表すと共に、ベテランとしての自身のほどを示しているのかも知れません。どうもありがとうございました。
この昭和57年の二月には、ホテルニュージャパンの火災、羽田沖の日本航空機墜落事故などがありました。また、女子プロゴルファーの岡本綾子選手がアメリカのLPGAツアーで初優勝しております。次回は昭和57年3月号をお送りします。
テレフォン説法第一回目
テレフォン説法第一回(昭和五十七年一月号)
テレフォン説法第一回をお送りします。
京都の東に比叡山がそびえています。千二百年の昔、その比叡山に延暦寺を開いたのが伝教大師最澄であります。
そのとき伝教大師は人材養成の機関、いわば学校をつくりました。その学校の規則、学則というか、校則というか、それを「山家学生式(さんげがくしょうしき)」といいます。山の上に作った家だから山家、―― 山の家。学生が守るべき規則だから学生式。当時の比叡山は今で言えば大学のようなものでありました。昔の人は、勉強するならばお山へ、こういったそうです。お山というのは比叡山のことです。
伝教大師がおつくりになった「山家学生式」に有名な言葉があります。
径寸十枚 これ国宝にあらず
一隅を照らすもの これ則ち国の宝なり
径寸十枚これ国宝にあらず、直径一寸の小判十枚は必ずしも宝ではない。一隅を照らす人物こそ国宝である。この言葉は千二百年という長い時間を飛び越えて、現代の我々の胸に響くものがあります。
「物で栄えて、心で亡びる」といわれる今日、国も企業も商店も、人で栄え人で亡びることに間違いありません。「一に人、二に人、三に人」と申します。千二百年の昔これを叫んだ伝教大師の卓見は、本当に素晴らしいと思います。
一隅を照らす人物、一隅というのはいま私たちの座っている処、そこでいつも照り輝いているという事は、その人が居ることによって家庭が明るい。その人が居ることによって職場が楽しい。またその人が居ることによって社会が住みよい。そういう人こそ宝である―こう伝教大師は言っております。
それでは一体「国宝」とはなんでしょう。
国宝とは何者ぞ 宝とは道心なり 道心ある人を名づけて国宝となす。
「宝とは道心なり」道心の道という字を見てください。首にシンニュウ(部首の意)かけて道という字です。シンニュウは走るという字ですから、道は首が走ると書くわけです。首が走れば当然「体」も走ります。首も体も共に一つの目標に向かって突っ走っていく。将に「体当たり精神」が道心ということではないでしょうか。
私は毎年、甲子園の高校野球を見るのが楽しみの一つなのですが、あの大きなアルプススタンドが、五万人の興奮のルツボとなって、選手の一投一打に大歓声をあげます。その異状な雰囲気の中で、若い選手たちは力の限り投げ、打ち、走る。一点を得るためには何としても一塁に生きなければなりません。誰の目にもアウトと判る凡ゴロでも選手は一塁ベースに向かって頭から滑り込む。これを「ヘッドスライディング」といいます。ヘッドスライディング「首が走る」と訳します。道心の道です。おのが任務に向かって「体当たり」で立ち向かう人こそ、「道心ある人」であり、「一隅を照らす」人物ではないかと思います。
今日は伝教大師の山家学生式の一節をご紹介申し上げました。どうもありがとうございました。
<今日の言葉
径寸十枚 これ国宝にあらず
一隅を照らすもの
これ則ち国の宝なり
この年は映画E・Tが大ヒットをし、一千万人の観客を動因しました。今では携帯電話などの影響で劣勢のテレホンカードの利用が始まりました。なお、東北・上越の各新幹線が開業した年でもあります。第一回の連載が始まった世相はこのようなものだったようです。次回は57年2月号の予定です。